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2024年05月24日03:38

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レア・セドゥって、ええわぁ。キツい話なのに“生身の人間”を感じました。ミア・ハンセン・ラヴ監督「それでも私は生きていく」(2022)。

原題が「Un beau matin」で、英語にすると「One Fine Morning(ある晴れた朝)」でした。僕のような人間は、「ある晴れた朝突然に」というジェームズ・ハドリー・チェイス原作のハードボイルド映画を思い出してしまいます。「晴れた日に永遠が見える」(1970)という映画もありました。あちらは「on a clear day you can see forever」。

そんなトリビアはどうでもええんです。冒頭、ボーイッシュな髪型のサンドラ(レア・セドゥ)が現れ、父親の家をノックするのですが、父親はボケ始めている上に目が不自由でドアを開けられない。その空気感にまず惹きつけられました。何?レア・セドゥやったらどんな映画でもええんやろ?ですって。僕はそこまで彼女に惚れてまへんで。

ボーイッシュな髪型の女性というと、やはり“元祖”「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグですな。僕は戦後生まれですから、女性の髪の毛が長ければ長いほどいいという時代を知りません。せいぜい「ローマの休日」のオードリー・ヘプバーンが鮮烈だったことと、「勝手にしやがれ」です。どちらも、映画というものを大きく変えた作品ですね。

そんなボーイッシュなヒロインが、ボケ始めた老父を介護するという展開でした。何年も前に離婚しているサンドラの母親フランソワズ(ニコール・ガルシア)も、現在の老父の恋人レイラも加わる。父親はドイツ文学研究者で、大学で教鞭をとっていたことなどから蔵書が半端ないのでした。これがDVDの山を大事にしている僕にはツボでした。

離婚した元妻フランソワズは、“売ってしまいなさい”と冷たい。それに対して“売るくらいなら燃やせば?”と反撃するサンドラが素敵です。我が息子は女房に何と言うだろうか?←怖くて確認できませんが、秋田に送る手はずくらいは整えて死ななくちゃ。って、103歳まで生きたら息子が先に逝ってるか?

というような、僕には切実な近未来の(まさに“明日”ですわ)オハナシでした。ニコール・ガルシアは「ギャルソン!」で若い頃を見たばかりなので、落差を感じるけど許す。って何を? それよりマジでレア・セドゥなのでした。8歳の娘リン(カミーユ・ルバン・マルタン)と暮らし、ふと公園で再会した死んだ夫の友人クレマン(メルヴィル・プポー)とデキてしまう。

このデキ具合が、僕にはすんなりと納得できました。そしてコトが終わった後にレア・セドゥが見せるお体の魅力的なこと! これって印象派の名画と並べて美術館に展示したくなるヌードですぞ。先日、美術館で印象派の作品群を堪能してきたから、それと並べて同じくらいの出来栄えだと感じました。嘘だと思うなら、見てごらん。

そんな母親をすんなり受け入れる8歳の娘もいい。既婚者のクレマンが妻に打ち明け、しばらく来なくなると母親に、“クレマンとケンカしたの?”だって。いじらしいやないですか。そしてサンドラが父親の働いていた大学で父を崇拝する教え子と出遭うあたりも、とてもすんなり楽しめました。こういう流れを作れる映画監督、すごいと思う。

てなわけで、ここまで情感たっぷりに人間の本性を描かれると、映画ってほんとにいいものだなぁと感心してしまいます。昔同じ言葉を水野晴郎さんがテレビでニヤつきながら言ってたときは“けっ”と感じてたけどね。←「リスボン特急」で日テレが現像ミスしたくせに、それを“フィルム・ノワールだ”と屁理屈つけた恨みが大きいのです。

とりあえずミア・ハンセン・ラヴという監督さんを、きちんと追いかけたいと思います。そこそこ録画してあるから助かる。←全作品ではないところが問題だけどね。本日の教訓は、どんな宝物でもそれを宝だと信じている人間がいなくなればガラクタでしかない、ということでした。死んだ後なら“燃やされても”構わんか。そうなると知ってたら構う。

写真3でレア・セドゥのお姿をおすそ分けします。僕がドキッとした場面はもっと鮮烈でしたが、諸般の事情から掲載は諦めます。見たい方はまずこの映画を見て、さらに様々にググってください。納得すると思います。せやけど「それでも私は生きていく」って、説明が過ぎる題名やなぁ。「ある晴れた朝」でええやんか。
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