「私の究めたいのは、抽象化されたり、また一般の統計に出てくるような対象ではない。悠久の過去から未来にわたる因果の中で、沖縄人の生命の本質がどのように運命と対決したか。またするかということである。」
まだアメリカ統治下だった1950年代末の沖縄を訪れた芸術家の眼による記録。冒頭に置かれた、柳田国男の『山の人生』の中の「痛切な生命のやさしさ」を示す挿話から心を掴まれ、沖縄を見ることで、沖縄文化だけでなく、日本文化を、日本人の根源的な生き方を、さらには大陸文化や西洋文化との差異までを浮かび上がらせる視野の広さも魅力的だ。
「自然と人生をひっくるめて、ともに許容するおとなしい柔かさ。運命を見ぬき、やさしく諦観し、しかも人生を捨てきらないで、自分達の分量だけで充実して生きることを楽しんでいる」
わずかな滞在期間にも関わらず、沖縄の人びとの本質をつかみ、この旅の十数年後に補記した「本土復帰にあたって」の小文では、「本土なみ」になるのではなく、沖縄の独自性を貫き、日本文化こそ「沖縄なみ」になるべきと説く。朗らかで、伸びやかで、悠久の時が流れる沖縄への深い愛情が文章の隅々から感じられる。そして、その裏返しの米軍という存在の異質性も。
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