臥床十日最後の卵がなくなつて米と餅はまだある何といふ富貴 （「短歌人」2016年６月号）
…作者情報を加味して読めば、この６月号の原稿〆切の少し前、一ヶ月間ほど酒井さんは体調を崩されて、あちらこちらの歌会に出られぬことをとても残念がっておられた時期があった。その頃詠まれた歌だろう。具合が良くなくて買い物に出ることができない。が、ふせっていたこの十日間、冷蔵庫に買い置きの卵があってそれをいただいてきた。今日で卵は尽きたが、まだ米はある。餅もある。外に出られなくても食を繋いでゆくことができる。それも、稗だの粟だのではない。白米と餅だ。ああ、なんという富貴なことだろう。そう思って臥している。その心持ちがいかにも富貴で、それがたっぷりとした韻律によくあらわれている一首だ。
つくし摘んで来た摘んで来たつくし夜更けてあをいこなをこぼす （「短歌人」2016年７月号）
…この同じ７月号の「會のたよ里」に記載されているが、今年４月の短歌人東京歌会に出された歌だった。たよ里に記されている通り「大絶讃の作品」だったのだが、いきなり歌の内容についての話から始まってしまって、韻律については十分に検討されないままだったように思う（これは東京歌会に限らずあらゆる歌会においてこころすべき点だろう）。当日の二次会でＫさんがこれは３句抜けの歌で「つくし摘んで来た／摘んで来たつくし／夜更けてあをい／こなをこぼす」と句切るのだろうと言われて、僕は、いやそうではなくて変則の句切りで「つくし摘んで／来た摘んで／来たつくし／夜更けてあをい／こなをこぼす」と句切るのだろうと言ったのを覚えている。酒井さんは離れた席におられたので、作者としては…というお話はうかがいそびれてしまった。変則の句切りでたゆたうような上の句の韻律を味わうのがやはりいいのではないか、と今なお思う。結句「こなをこぼす」は６音だがさほどの字足らず感がないのは、３＋３の６音だからである。３＋３はそれぞれが三連符のような拍を打つので字足らず感をもたらさない、というのが僕の説なのだが、公認（？）されるには至っていない。
樟大木（おほき）、六地蔵、雲、おのづからわれ手を合はす螢よ螢 （「短歌人」2017年５月号）
…結句、「螢」とあえて旧字で書かれいるのだからこれは有沢螢さんだろう。忽然と四肢不自由になってしまわれた「短歌人」のお仲間の方だ。螢さんはクリスチャンで唯一の創造神に信を置く方だが、酒井さんにとっては樟も六地蔵も雲も、なべて手を合わせる対象である。僕も酒井さんの感覚に近い。それで、手を合わせるたびに「螢よ螢」と祈る。ふつうは三千世界の安寧とか言うであろうところ、この「螢よ螢」は深い。昨年［2016年］の「短歌人」５月号にも《抱きしむることわれの究極 仰臥して清き螢をただ抱きしめたし》という酒井さんの歌があり、その同じ号には《われもまた神を許さむ動かざる手足に窓の虹を見上げて》という螢さんの重い一首も掲載されていた。
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