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2023年09月07日05:24

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酒井佑子の歌(6)

何といふこともあらずき月を拝み地蔵を拝みけふの日終る  (「短歌人」2014年5月号)

・・・広辞苑で「暮らす」という語を引くとその第一項目に「日の暮れるまでの時間をすごす」とある。すなわち酒井さんのこの歌は「暮らす」の原義を一首にした作品である。こんなふうにしてけふの日が終り、今週が終り、今月が終り、この春が終り、今年が終る。その彼方には、斯くてわが一生(ひとよ)の終る、という感覚が続いていそうだ。何といふこともあらざるこそよろし。「生老病死」の苦を説く教えがこの国に渡来するよりももっと古い地層に根ざす存在感覚を酒井さんは生きておられるのではないか。なんだか話が大仰になったが、そんなふうにこの一首を読んだ。
[追記]ある時、酒井さんがこの歌について、つまり暮らすというのは死という生の完成態へ近づくことなのよ、と言われていたことがあった。作者自解というのは、時に、余計な解説のように聞こえてしまうこともあるが、この酒井さんの言葉は、この一首とともに深く僕の身体の中に刻まれている。

きしむ床のうへに平らに在り経つつけふふとものに飽きてしまひつ  (「短歌人」2014年8月号)

・・・“超訳”してしまうと、おらあたいくつだあ!みたいなことなのだろうけれど、酒井さんが詠むとそういう所へは落ちない。「平らに」はつつがなくとも読めるし、ずっと横になっているとも読める。「ものに」の「もの」はやまとことばの根の方にあるいとあやしげな「もの」であろう。生に飽きてしまったというひとときの感慨をこのように詠むことによって、作者はなおも生の側に深くとらえられている。

昔われ有尾多毛の生(しやう)にして毛のうちに深く眠りたりけり  (「短歌人」2015年11月号)

・・・酒井さんなら初句冒頭の「昔」は「むかし」とかながきにしたいところだろうが、次に「われ」が来るので「昔」にされたのだろう。いわゆる前世というよりは、類の次元での「昔」を思わせる歌。今も、眠りのうちにある時にその「昔」に戻るのかも知れない。


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