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2024年05月26日05:04

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長田華子・金井郁・古沢喜代子編『フェミニスト経済学』

2023年10月、有斐閣刊。

フェミニズムは女が学ぶものだ、というのは間違い。むしろ男こそしっかり学ばねばならない。(←とりあえず女/男の二分法に乗りましたが…。)ということを改めて思った書物であった。

従来の主流派の経済学すなわち新古典派経済学は、市場を軸として世界観を立てている。したがって、そこでは性別役割分業によって女が担当する部分が大きい家事・育児などという営みは、労働市場を介して賃金が支払われるわけではないので「労働」とはカウントされない。これに対してフェミニスト経済学はそのような営みを「アンペイドワーク」すなわち支払われない労働と命名し、「労働」というカテゴリーの中に組み入れる。新古典派経済学は性別役割分業を前提とした“ますらを経済学”(←この言葉は本書に書かれているわけではなく、僕が勝手に作ったのだが)だった。マルクス経済学にもその“ますらを”風は残留していた。フェミニスト経済学はそのような世界観を壊し、“女・子ども”を周辺視しない、そして“自然”を周辺視しない新しい世界観を提示しようとしている。その新しい世界観は、斎藤幸平さんなどが提唱している「脱成長論」とも接続するだろう。僕もまことに微力ながら、その動きに加わりたいと思う。

「フェミニスト経済学は、他の異端派経済学と同様に、新古典派経済学の合理的経済人仮説を疑う点では同じだが、経済の行為主体とされる人間がいかなるプロセスを経て市場に登場するのかを経済学が無視していることを問題とする点に特徴をもつ。人間は、大地から突然に完全に成熟した大人として生まれてくるのではない。すべての人間は、女性の身体から生まれ、依存状態にある子どもとして、他者からケアを受け、家族やコミュニティのなかで守られながら、成熟した人間として生育していく。すべての人間は、社会の文化の影響を受け、感情や嗜好が形成される。すべての人間には理性があり、個人としてのアイデンティティがあり、主体性がある。すべての人間は、利己的でもあり利他的でもある。すべての人間は、人間どうしで相互に依存しているだけではなく、自然界にも依存している。気候変動や土壌汚染といった自然環境の危機は、人間の生存そのものを脅かす。/このような考え方を踏まえて、フェミニスト経済学が経済の行為主体として仮定する人間像は、『合理的経済人』ではなく、『関係性のなかにある個人(individuals-in-relation)』である。」(第1章「フェミニスト経済学への招待」より)

「私たちが生きる社会を持続可能なものにするには、万人のベーシックニーズを満たすこと、子どもを生み育て次世代を再生産すること、環境破壊や災害などの危機に対してレジリエンスを構築することが必要である。経済学は、市場で取引されるものをおもな分析対象とし、市場で取引されないものも市場取引を仮定して分析する傾向にあった。しかし、私たちのベーシックニーズは市場の取引だけでは満たされない。私たちの生活は経済学が対象としてこなかった非市場領域であるアンペイドワークによっても支えられている。そしてアンペイドワークは、誰かの責任において担われており、自然に湧き出てくるものではなく、生態系の機能もまた無尽蔵に供給されるものではない。主流派経済学が、人間の合理的選択とその結果としての効率的な資源配分を分析する学問であることに対して、フェミニスト経済学にとっての経済学とは、人間の生存に必要なものを備え供給するプロヴィジョニングのありようを非市場領域も含めて分析することである。このように経済学の枠組みを問い直し、扱う領域に非市場領域も含めることで、ようやく私たちは市場に登場しないすべての人のことを経済学の研究対象として分析できるようになる。」(「あとがき」より)


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