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2021年03月17日09:07

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私的言語はある?

 ウィトゲンシュタインは私的言語はないというけれど、やはりあるのではないかという気がする。もし、世界中で痛覚を持っている人間が自分一人だけであったと想定する。その場合はもちろん「痛み」という言葉は成立していないだろう。しかし、私がナイフで指先を切ってしまった時は、やはり「イタッ」とか「アウチ」とか叫ぶはずだ。もちろん他の人には私の身振り声振りの意味するところは分からないだろう。私が「イタッ」と言っても、それが「痛み」であると教えてくれる人はいない。それでも、私が再び指先をナイフで切ってしまった時、思わず「イタッ」と叫んだなら、前回も「イタッ」と叫んだことを思い出すだろう。その感覚を「イタミ」として同定することは可能なような気がする。もちろん同定の根拠は私の記憶だけであり客観性はない。良いのだそれで、どうせ他の人には通じないが、自分の中だけで、他のいろんな状況と併せて整合的に「イタミ」として思考することができればそれでいい。私的言語としての「イタミ」には客観性など必要はない。
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