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2020年02月06日03:23

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見た人だけ限定、ネタバレでもなんでもいいから、具体的にどこがどう“いい映画”なのかを語りませんか。クリント・イーストウッド監督「リチャード・ジュエル」(2019)。

公開してすぐに見たので、具体的に内容を語るのは失礼だと思っていました。そういうSNS上のルールは別にして、ちょっと本気で皆さんに伺いたいと思うのです。「リチャード・ジュエル」という映画の、どこがどういう風に気に入りましたか?ということです。実は僕、すんなりと見終わり、なかなかのカタルシスを感じつつ映画館を出たのですが、具体的に何がどう良かったのか、それを見いだせていません。

たとえば「アラビアのロレンス」という映画に対してなら、あの砂漠の映像が圧倒的だったとか、登場人物たちの適切な描きわけが個々の生きざまをみごとにとらえていて、その立体的な構成が面白いとか言えるのですが、「リチャード・ジュエル」に関してそのような言い方ができないわけです。

だって、映像は際立って見事なわけではないし、登場人物たちに至っては、主要な3人、被告のリチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)、弁護を引き受けるワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)、そしてリチャードの母親(キャシー・ベイツ)と、それぞれたいして魅力的な人間じゃない。音楽も、「アラビアのロレンス」の時代とは違うこともあって、観客の心を揺さぶるようなBGMではないのです。

それにもかかわらず、見終わった僕は“いい映画を見た”という充実感で満たされていました。その気持ちは今もほとんど変わりません。同時にそのときの日記に書いたように、この映画をベストテンに入れようとは思わないわけです。僕の人生感を揺るがす映画ではなかったし、この映画によって僕が何か進歩したかというと、何もないように思える。つまり“すぐれた娯楽”だったという意味しかないのです。

映画にそれ以上のものを求めるのが間違いだということかもしれません。しかし僕には、毎年数本は、僕の人生を突き動かすほどの内容ある映画が現れています。60年以上映画を見ているから、その数は300本くらいになると思う。しかし「リチャード・ジュエル」は、そんな類の映画ではないと確信しています。

まず何よりも、先述の3人のキャラクターに、僕は感情移入できていない。リチャードに対するFBIの敵意あふれる行為に対し、リチャードはとても好意的に協力します。弁護士ワトソンが言うように、不利な発言はしなくてもいいのに、リチャードはかなりの部分で協力します。もちろん一方では、自分の権利を知っているから拒む部分もある。

弁護士のワトソンは、無実の人間が罪を着せられようとしていることに対する正義感だけで弁護しているわけではありません。見た目から職場では蔑まれているリチャードですが、ワトソンのゴミ箱のスナック菓子の包装紙を見て、同じ菓子を机に入れておいてくれた、その配慮に感謝しているけれど、とことん腹を割った親友という訳ではない。←最後にはそうなるけどね。

リチャードの母親に至っては、息子が時の人と称えられて大喜びするけれど、一転して犯人扱いされるとおろおろ右往左往するだけ。タッパウェアまでごっそり証拠品として押収され、あまりのことに呆然としています。ところがマスコミを前にして語る姿は、それは見事なものでした。なにしろこの映画最大の悪役である新聞記者キャシー・スクラッグス(オリビア・ワイルド)がもらい泣きするくらいだから。

僕が“してやられた”と感じたのは、弁護士ワトソンが“なぜ弁護を引き受けたか”と問われた返事として、“彼の眼を見て無実を信じた”と返したことです。トランプ大統領が選挙で優勢になったとき、本来金持ちは嫌いだという労働者がトランプ支持に回り、その理由として“トランプ氏は、私の眼を見てきちんと応対してくれた。だから彼は信用できる”と言い放ったことを、僕は忘れません。

“一般人”であるこのトランプ支持者は、政治のからくりがどうのこうの、富の偏在がどうのこうのよりも、自分を一人の人間として扱い話をしてくれるという事実が大事だったのです。クリント・イーストウッドは、みごとにその“一般人の心理”をこの映画に引用しました。そしてCG大作のような見かけの華々しさもなければ、「アラビアのロレンス」のような丁々発止の大芝居もない、むしろチマチマとした俗っぽい物語を繰り広げながら、最終的にはアメリカン・ドリームのカタルシスで締めくくります。

そこまで手の内が読めているのに、僕はこの映画を楽しく見てしまいました。ここで僕が知りたいのは、作り手たちがどのような手練手管を使って僕を喜ばせたのか、ということなのです。主要な3人のキャラクターは、実は僕の好みでは全くありません。もし実生活でこういう人がいたら、僕は政治の話などせず、出来るだけ距離を置いて生活すると思う。

FBIのトム・ショウ(ジョン・ハム)は、本来ならかっこいい警察権力の代表なのに、実に単純にセオリーを信じ込んでしまうバカ者でした。おまけにキャシーという女性記者の色仕掛けに、すんなり情報をリークしてしまう。キャシーはキャシーで、特ダネのためなら体を張ってでもと、見たとおりのイケイケ姐ちゃんでした。そんな程度のしょぼい悪役たちですが、相手が腐ってもFBIなのでリチャードの命運はいかにと、スリル満点なのでした。

というような、言わば下世話な題材を、かくも面白く感じさせている、その“理由”を僕はまだ解明できていません。それほど難しい映画ではないだけに、解明できない自分に腹が立つ。だから、どこがどう良かったかを、みなさん具体的に教えていただけませんか。俳優の演技が素晴らしいとか、正義は必ず勝つという基本的なストーリーが分かりやすいとかは、具体的な説明ではないのです。どの場面のどのシーンがこうだから、という方向でお願いします。

たとえば「アラビアのロレンス」では、ロレンスの周囲の人物たちが最初に彼に会ってから最後まで、ロレンスに対する態度を変えていないという構成がみごとだったと思う。ジャック・ホーキンスは、あれだけロレンスを利用しながら“私は彼をよく知らない”と述べるし、アラブの王アレック・ギネスはロレンスを利用しただけ。そしてロレンスを崇拝していて冒頭にアーサー・ケネディにつめよる軍人に至っては、アラビアでロレンスを殴っていた男なのです。そんなドラマ構成の妙味が、「リチャード・ジュエル」には感じられません。なのに面白いのはなぜなのか。

今回アカデミー賞が「リチャード・ジュエル」を作品賞候補から除外したのは、僕には偶然と思えません。ハリウッドが民主党支持だから云々と、政治地図を引用して説明をつけているだけだと、相手の眼を見て納得させてしまうおっさんたちに好きなようにされてしまいますよ。この映画の面白さを根本的に解明できたら、トランプ政権(ひいてはポピュリズム政治)を突き崩せるのではないか。僕はそう感じながら“解明”できていないもどかしさを体感しているわけです。ぜひ、ご協力をお願いします。
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