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2019年12月26日09:49

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少数者の意見を聞くというのは民主主義の基本だが‥‥

 今朝のテレビを見ていて、ちょっと考えさせられた。除夜の鐘を止める寺が増えているというのだ。夜中に鐘が鳴るのはうるさいとクレームをつける人がいるというのが、その理由だという。人のものの考え方感じ方は様々なのだから、どんなことにも賛否両論がある。真夜中の鐘の音をうるさいと感じる人がいるのも当然のことだろう。

 テレビに出てきたお寺の坊さんは、「1000人に一人でも鐘の音をうるさいと感じる人がいれば”仏教の教え”として対応しない訳にはいかない。」という趣旨のことを述べていた。争いを好まない仏教的判断ということか。しかし、一年に一度の除夜の鐘が鳴らなければさびしいという人も多いはずである。千人に一人のクレーマーの言い分をいちいち聞き入れていたら、大抵の伝統行事はできなくなってしまう。祭りや運動会も日本からなくなってしまうだろう。そうした状況は決して好ましいと言えないのではないか。

 問題は「うるさい」と感じる人のその切実さである。除夜の鐘を七転八倒の苦しみで聴いている人にはそれなりの配慮が必要だろう。場合によっては除夜の鐘を取りやめるということもやむを得ない。しかし、除夜の鐘は何百年も続く伝統行事、これは祭りと同じでそのお寺の都合だけで実施しているものではない。やめて欲しいと願う方も、「皆さんが楽しみにしているのは分かるが、私にはどうしても耐えられない、なにとぞやめて欲しい。」と地域全体に訴えるのが筋だと思う。まあ、そこまで言われれば普通の人なら、面倒くさいから我慢しようということになるのではないか。本当に我慢できないほどの苦痛を感じる人は既に、防音工事をするなり、大晦日だけどこかへ旅行に出かけるなりしているだろう。

 結論を言ってしまうと、よほど特殊な理由がない限り除夜の鐘はやめる必要はないと私は思う。かくいう私は年寄りの早寝で、もう何十年も除夜の鐘の音を聴いたことがない。
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