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2019年12月06日20:51

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悪循環原理

「19字以下では表現できない最小の自然数」=無量大数の無量大数乗の無量大数乗の極乗+1 ということになると、左辺が19字ぴったりであるということが問題になる。つまり、「無量大数の無量大数乗の無量大数乗の極乗+1」が「19字以下では表現できない最小の自然数」という19字で表現できてしまうことになるというパラドックスが生じてしまっている。

そこで、ラッセルは自己言及を起こす原因を「悪循環原理」として次のように定式化した。

「ある集合について、その全体によってしか定義できない要素が含まれる場合、その集合は全体をもたない。」

最後の「全体をもたない」という表現は奇妙な印象を与えるが、集合を形成できないという意味(空集合ではない)である。

「19字以下では表現できない最小の自然数」は「19字以下では表現できない自然数」全体の中の最小のものという意味だから、悪循環原理によれば「19字以下では表現できない自然数」の全体という集合は存在しないことになる。

しかし、どうもこの「悪循環原理」というのはあやしい。例えば、「日本一の金持ち」というのはどうだろう? 結構多くの人が「それは孫正義だ。」と答えるのではなかろうか。「日本一の金持ち」というのは、日本人全体によって定義されているはずである。ならば日本人全体という集合は全体をもたない、ということにはならないのか? 日本人全体というのは数が多くて把握するのは現実には難しいが、実は外延が確定してしまっていて、理論的には一時点の日本人全体の名前を挙げることができるはず。当然その中には孫さんがいることは初めから分かっている。問題は内包的な表現しかできない集合にあるのだろう。

もっとも古典的な矛盾の話である、全ての盾を打ち破る矛とすべての矛を撥ね返す盾の場合について考えてみると、「すべての盾」の集合の中に「すべての矛を撥ね返す盾」が含まれているかどうかが問題になる。「すべての盾」の集合か「すべての矛を撥ね返す盾」の集合のどちらかはその全体をもたないのだろう。
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