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2019年12月03日12:41

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ウィトゲンシュタインのパラドックス観

一般には、言明にまず意味があって、その意味が現実と照合されて真偽が決定されると考えている。しかし、ウィトゲンシュタインは真偽の条件そのものがその言明の命題つまり意味であると考えた。真偽の前に意味が存在すると考えることから言語の混乱が生まれるというのだ。

「私が今言っていることは嘘である」というのは有名なパラドクスだが、このパラドクスは真理の前に言明の意味があると考えることから生じていると彼は言う。この言明を「A」とすると、Aを主張することは、同時にA=¬Aを主張することになり矛盾する。ウィトゲンシュタインに言わせれば、Aは初めから真理条件の不明な無意味な言明というだけのことだということになる。

ウィトゲンシュタインは一貫してパラドックスに対して冷淡というか、単純に「無意味」という態度を崩さない。だから、数学の命題に自己言及命題があるとしても、単にそれが無意味なだけだと主張する。仮にパラドックスが数学に矛盾をもたらすのだとしても、それは単に数学が間違っているだけだという。そして、矛盾が予測できるのであればそれを取り除けばいいと主張する。予測できない矛盾があるかもしれないという主張に対しては、現に今まで数学は間違っていなかったではないかと主張する。計算違いをもたらすような矛盾があれば、必ずそのことは証明できるはずだからである。
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