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2019年10月14日12:01

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本棚205『走ることについて語るときに僕の語ること』村上春樹(文藝春秋)

 村上春樹は小説家になったのとほぼ同じ頃から長距離走を始めた。その後四半世紀以上走ることを続け、フルマラソンを何度も完走してきた著者にとって、走ることは既に自身の不可欠な一部となっていることが分かる。墓碑銘に刻んでもらいたいという、「少なくとも最後まで歩かなかった」という言葉はいかにも著者らしくていい。
 
 本書では、走ることについてだけでなく、著者が小説家になろうと決めたきっかけや、小説家に必要な資質なども幅広く語られている。小説家に求められる、才能、集中力、持続力。後者の2つはランニングのようなトレーニングを通じて後天的に鍛えられると言う。
 しかし、著者にとって走ることは、小説家としての資質の向上のための単なる「手段」ではなく、もっと本質的、根源的なもののように思える。著者の小説は、心の奥底に井戸を掘って降りてゆくような不思議さを帯びたものが多いが、そうした世界を描くことは作家の心身ともに負荷が大きく、きっと走ることは自身のバランスを保つためになくてはならないものなのだろう。著者がバランスをとるために、長編小説の執筆の合間に多くの海外文学の翻訳を行っているのと同様に。

 自分も大学まで長距離走をやっていたので、共感できる部分が多かったが、放っていたら消えて行ってしまうランナーの思いを巧みに言語化する力は流石だと思う。

 「同じ十年でも、ぼんやりと生きる十年よりは、しっかりと目的を持って、生き生きと生きる十年の方が当然のことながら遥かに好ましいし、走ることは確実にそれを助けてくれると僕は考えている。与えられた個々人の限界の中で、少しでも有効に自分を燃焼させていくこと、それがランニングというものの本質だし、それはまた生きることの(そして僕にとってはまた書くことの)メタファーでもあるのだ。」
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