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2019年10月12日18:26

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本棚204『江戸開城』海音寺潮五郎(新潮文庫)

 「西郷という千両役者、勝という千両役者によって、はじめて演出された、最も見事な歴史的場面だったといってよいであろう。」

 この間、大田区の洗足池に先月できたばかりの勝海舟記念館に足を運んだので、この本を読んでみたくなった。慶應4年(1868年)3月14日。新政府軍の江戸城総攻撃を翌日にひかえたこの日、勝海舟と西郷隆盛が会見し、江戸城の無血開城が決まった。江戸の街が炎の海に包まれるのを防いだこの歴史的な日を軸とし、旧幕府側と新政府側の様々な群像が描かれる。時代は異なるけれど、太平洋戦争の終戦の日を巡って、政府や軍等の多くの人々の思惑や行動を緻密に描いた『日本のいちばん長い日』のような張り詰めた緊迫感を持つ。

 やはり、内も外も敵ばかりの中、勝海舟の命をかけた大芝居が印象に残る。西郷との会談のため薩摩屋敷に単身乗り込むことをはじめ、恭順の意を示しつつも、幕府内の徹底抗戦派を抑えきれないと言ったり、薩摩の出で徳川家に嫁いだ篤姫の話を持ち出したり、ぎりぎりの駆け引きを行っている。
 勝と西郷の会見の前さばきをした山岡鉄舟の豪胆さもすごい。妻にちょっと出てくるからなと言って官軍の大総督府へ嘆願に行き、西郷に対しても、仮に立場を変えて島津侯が今日の慶喜の立場でもこのような降伏条件を甘受するのかと迫り、その一途さが西郷の心を動かす。

 鹿児島生まれの著者ではあるが、数多の書状や日記に基づき、単なる薩摩びいき、西郷びいきにはなっていない。とはいえ、慶喜や彰義隊等には手厳しく、また、通説とは逆に、幕府に強硬に対したのは長州で、薩摩は幕府に融和的だったと主張する面もある。
 西郷が書状で、慶喜の切腹を強く求めているが、それは西郷の本意では無かったと説く。紙背を読み解き、書簡や日記等の史料の裏に秘められた真の思いを明らかにする。この想像力は、歴史の「真実」をより明らかにする可能性を有する一方、もし十分な根拠のない「空想」となれば、歴史を歪める危険性も孕んでいるだろう。昔、大河ドラマ『篤姫』の中で折々出てきた、「一方聞いて沙汰するな」という言葉をふと思い出した。
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