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2019年09月12日05:42

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語りえぬものについて語りたい‥

『論考』について、ウィトゲンシュタインは、「ここに書かれていることよりも書かれなかったことが重要である。」という趣旨のことを編集者に対して述べている。「語りえぬことについては沈黙すべし。」と言うが、項目番号5.6番台では「語りえぬ」領域に少し踏み込んでいるのではないかという気もする。本来なら、この世界が独我であるとかないとかさえも語れないような気がする。他人の意識に入り込んでいることを前提にしなければ独我は無意味であるし、それを前提にすれば矛盾だからである。でも言いたいことは痛いほどわかるというのが『論考』の魅力なのだろう。

ウィトゲンシュタインによれば、語りえないものとは論理と倫理であるという。無矛盾律がなぜ正しいかということについて我々は論ずることができない。我々の思考が論理そのものであるからである。どうしても言おうとするなら「正しいから正しい」と言わざるを得ないことになってしまう。倫理についても同様である。人によっては「種族繁栄を目指すのが善である」というような幼稚な理屈を考えたり、多少ものを考える人なら功利主義的な説明を考えたりもするが、どのような説明をしようとも、根源的な説明には至らない。どのような道徳であれ、その根源を人間の本性に求めるなら、結局それは「善いから善い」というところに行きつかざるを得ないのである。

どうしてもそれを語りたい欲求にかられるウィトゲンシュタインはやはりロゴスの人なのだと思う。彼がもし仏教徒であったなら、無記とか自然(じねん)ということで折り合いをつけることができたのだろうか?
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