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2019年09月05日10:04

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伊能忠敬

伊能忠敬の名はたいていの日本人が知っている。日本史の教科書に載っているほどの偉人ではあるが、最近、私はこの人は一般に思われているよりももっとすごい人なのではないかと思うようになった。

忠敬の作った大日本沿海輿地全図 と国土地理院の地図を見比べて、ほとんど違わないことに私たちは舌を巻く。しかし、忠敬の時代には国土地理院というような権威はないし、もちろん見本にするような日本地図というものもなかったので、あらかじめどのようなものが出来上がるかもわからなかったわけである。現代なら衛星写真で日本の形というものを確認できるが、江戸時代にそんなことが可能であったはずはない。たいていの日本人には、日本の形がどうなっているなどということは想像の外のことであっただろう。

地図を描き始めて日本を一周してきた時に、その終端が最初の起点と果たして一致するものか、その確信を得ることは普通の人にはとても難しいはずだ。地面の上を歩き回っているだけの当時の人々には、日本そのものを俯瞰するというような視点は持ち得ない。しかし、忠敬には日本を俯瞰すれば「こうであるはず」という哲学用語で言えば超越論的視点というものがあったのだろう。科学的知識はあったとしても、当時の生活様式からすれば、そのような視点はなかなかもてるものではない。

忠敬は子供の頃から算術が得意で知的好奇心が旺盛だったらしい。50歳で隠居しその翌年から、暦学・天文学を学ぶために幕府の天文方である高橋至時に師事している。当時の乳児死亡を除外した平均寿命は大体50歳くらいだったと言われているが、彼はその歳になってから本格的に学問を始めたのである。彼のすごいのは、その学問が単なる老人の趣味に終わらず、それから5年後には10次・17年間にわたる測量という大事業につながったことである。単に知的好奇心と言うだけではない、自分のやっていることの意義を十分理解していた、と見なければその情熱の説明がつかない。忠敬に人並みすぐれた知性があったことは間違いないとしても、佐原という地方の一介の商人がスケールの大きな世界観をもち得たこと、それが驚きである。
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