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2019年08月22日16:39

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懐疑論を吹き飛ばしたい

(論理哲学論考より)
4.024 命題を理解するとは、それが真であれば事実はどうであるかを知ることである。

一見当たり前のことを述べているだけのように思えるが、とても重要な視点を含んでいると思う。
ヒラリー・パトナムの提示した「培養液の中の脳」という思考実験について考えてみよう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%A7%BD%E3%81%AE%E8%84%B3

もし、私が培養液中の脳であって、電気的刺激によってヴァーチャルなヴィジョンを見せられている、という仮説は矛盾なく構成することができる。しかし、それが本当のことだとどうやって知ることができるだろうか?

私の前に狂人博士が出てきて、「これがお前の脳だ」とビーカーの中を指さす。そして、その隣の機械を指さして、「この機械がお前の視ているヴィビジョンを作り出し、この回線を通じてお前の脳に送られているのだ。」と説明する。「これが本当である証拠に、お前に昨日見せたDVDをもう一度この機械にかけてみよう。」と言って、DVDを挿入する。そうすると景色が一変して、昨日の経験がもう一度再現されたのである。ここまでやられれば、私はほとんど狂人博士の言うことを信じてしまうだろうが、実はこれだけでは彼の言っていることの十分な根拠にはならない。

この仮説は私が直接触れるのは感覚与件(センスデータ)だけであるという前提に基づいている。つまり、私は絶対に実在に到達できないことになっている。見せられるのがヴァーチャルなヴィジョンでしかないのであれば、実在とヴィジョンとの関連性については何も言えない。いくら非日常的なヴィジョンを見せられたとしても、それは単なる夢かも知れないのだ。

結局、「私が培養液中の脳である」という命題が真実であるかどうかを知ることは私にはできない。私は自分自身で、「私が培養液中の脳である」かもしれないと言ったところで、私は自分が口にしたことの内容を理解しているとは言えないのである。
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