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2019年08月09日11:29

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期待している監督の新作ですが、これは“残念”でした。深田晃司監督「よこがお」(2019)。

2017年の春ごろ、深田晃司監督の名前を知りました。有料BSで「いなべ」(2013)を見たのでした。ある地方(員弁です)とタイアップした中編。その地方色豊かな道を自転車が走る感覚がいい感じでした。そして「歓待1.1」(2010)と「ほとりの朔子」(2013)を見たわけです。それぞれなかなか面白かった。さらには、「淵に立つ」(2016)の対立する元仲間の人生に対する姿勢が面白かった。

そんな深田監督が、「海を駆ける」に続いて作った作品です。駆けつけるしかないと思いました。結論から言うと、残念でした。僕は以前から、時制を入れ替えるドラマに疑問を持っています。「メメント」という、時制の入れ替えにしか見るべき点のない映画が話題になって以来、うれしがって追随する輩が多すぎる。しかしたいていが、クリストファー・ノータリン監督の域にも至っていない。

僕は時制を入れ替えることで混乱することを好みません。映画というものは、はじまりから終わりまでの一連の時間を楽しみたい。もちろん、それを実時間で楽しむつもりはありません。中抜きや省略、逆に心理的な時間として実時間よりも長く使うなど、自由に変更してくれてもいい。しかし混乱させることで細部の詰めの甘さをごまかそうとする、ノータリン監督のインチキは許せない。

僕はまた、フラッシュバックの手法も楽しみます。それが適切に使用された場合です。つまり今回は、ある時制の過去とその後の時制とが並行に描かれるのですが、断片的にそれを行うものだから、意図的に事実を隠した安っぽい手品になっている。種が明かされた時点で何も驚きがなく、むしろばかばかしいと思えるのです。

物語について書くと、未見の方に差しさわりがあるので書きません。そもそも、そんな作劇方法でいいと思って作っている製作サイドが、僕にはバカバカしく思えます。たとえば「ルーム」という映画がありました。あの映画には、きわめて特異な状況のミクロな視点から、マスコミを含めた日常世界という広がりの中へ、時系列そのままに拡大していく快感がありました。

逆に「君が生きた証」(2014)という作品は、最も重大なポイントを最後まで隠していて、僕にはがっかりでした。それでも今回の「よこがお」よりは、全編を見てしまえる作品の力があった。もし「よこがお」を初めてテレビで見ていたなら、僕は途中でやめたかも。というより、劇場で座っているという物理的事情で最後まで見ましたが、席を立ってもよかったと今感じています。

たとえば途中である不思議な情景が描かれ、それが夢だと分かる。それ、要らんでしょ。なのに何度か似た描写を繰り返す。そしてラストですよ。つまり僕はラストも夢落ちだと感じました。しかし映画の作り方としてはそうではない。ラストは劇中の現実だと思わせる作り方です。それがもう、バカバカしくて。

さらに登場人物の性格に、こちらが深く読み込んでいく余地がない。マスコミの反応や周囲の人物の反応が、きわめて通り一遍なのです。婚約予定の人物が、冷たく“君のせいで”と語る、その距離感が今回の底の浅さを露呈しています。途中で、“かくしゃくとしていた”という言葉を“はくしゃく”と言い間違える部分など、どうして必要だろうか?

ということで僕は、この映画が放送されたら不要だと思う部分をカットして、時系列どおりに編集したいと思います。そうしたら、この映画のダメさが明確になるでしょうから。
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