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2024年05月18日00:48

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またしても“ドキュメンタリーの意味”を考えさせられました。NNNドキュメンタリー「ハイスクールは水族館!! おひっこし魚(うお)〜ず」(南海放送)を見て。

愛媛県の長浜高校に水族館があるということは、別のドキュメンタリーで知っていました。今回のドキュメンタリー以前に、高校にある水族館という部分に注目したドキュメンタリーがあったのです(同じ放送局かも)。愛媛では“長校”と呼ばれて親しまれているその長浜高校が、実は生徒数不足で別の高校の分校になりかけていたそうです。

そんな高校で生徒たちが新入生を集めようと、水族館部という特色を正面に打ち出したところ、新入生が57人も集まり、そのうち43名が水族館部に入部したそうです。そんな長浜高校の水族館が、隣接する建物に移転することになったというドキュメンタリーでした。その中に“タコ好き”の少女がいて、脇目もふらずに飼育していました。

そのタコは、移転当日にメスのタコ壺に入り込み、“すわ交尾か?”と思わせるのですが、その翌日死んでしまっていました。自然界では、交尾後のオスが死ぬことは珍しくありません。映画「ザリガニの鳴くところ」では、その事実が大きなテーマとなっていました。タコ少女も、長らく育ててきたタコの死は悲しいけれど、今後を見守りたいと語ります。

で、僕が驚嘆したのは、その死んだタコを、このタコ少女は食べて供養したことです。自らタコに包丁を入れ、調理していきます。その姿がとても淡々としていて、さらに未来を見据えていて明るかったのです。これには恐れ入りました。

ペットの死を悲しむ場面でお涙を誘うのではなく、それでいてきちんと死と向き合う。その姿勢に僕は感心しました。この人間像をカメラが捉えたというだけで、このドキュメンタリーは称えられていいと思う。密着取材していたカメラが、取材対象の人物が見せる思わぬ表情、これこそが“ドキュメンタリーの意味”だと感じたわけです。

当たり前の話ですが、映画は映像で気持ちを伝えるものです。そこに映し出された映像が、ある現実を具体的に映し出すから観客にさまざまな感情を起こさせる。たとえばウクライナの戦場やガザ地区の瓦礫と化した街を移すだけでショッキングな場合もあります。しかし映し出される人々の生活が、実感として観客に伝わる、これが最も大事な点ではないのか。

ともすれば政治的な視点から結論を急ぎたがるドキュメンタリーが多い中で、タコ少女の爽やかな姿勢には感心しました。似たようなことがNHKの「ドキュメント72時間」にも言えます。72時間定点カメラを仕掛けて、そこに映り込む人々の人生を見せてくれます。もっと言えば、画面から人生を感じない定点カメラ映像はつまらない。

そう言えば以前、「ちむぐりさ 菜の花の沖縄日記」(2019)というドキュメンタリーがありました。石川県珠洲市出身で沖縄の高校に通う坂本菜の花さんが、第二次大戦事の沖縄での出来事を調べ歩くものでした。こちらも菜の花さんのひたむきな活動がみごとに捉えられていて、僕は感心しました。元旦の地震、坂本さんの実家は大丈夫だったかな。

そんな事を考えると、原一男というドキュメンタリー監督は、やはりすごいですね。対象者に食らいついて何年も取材するから当然、と言えばそのとおりですが、対象となる人々にしっかりと寄り添っていく。取材対象者たちも、心を開いていきます。そのつながりが深ければ深いほど、観客である僕たちに突き刺さる部分も多い。

ということで、今更ながらにドキュメンタリーの意味を考え直しました。知らない事実を指摘してくれるだけでなく、そこに生きている人々の人間像が浮かび上がることが大切だと僕は思う。より対象者に密着し、そして観客の心を揺さぶる映像をすくい上げてくださるよう、関係者に重ねてお願いしたいと思います。
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