長いタイトルですね! マイミクさんが酒田市出身で、かねがねこの映画館のことを話していたことから(ご自分の会社名をその映画館名にしています)、この本を図書館から借りたしだい。途中に「ザリガニの鳴くところ」などを借りたせいもあり、読了に手間取りました(笑)。
なんでもその映画館を訪れた淀川長治さんが“世界一の映画館だ”と言ったそうですから、そうなんでしょう。1970年代にその映画館の電気系統から出火して、酒田市に大火災が起きたそうです。そんなこんなが書かれていますが、映画館の話が以外に簡単だったため、ちょっと肩透かしでした。
つまり著者の岡田芳郎さんという方が、“入口から館内までが豪華”とか書いておられるのですが、それがピンと来ません。そして“映写機の明るさは日本有数”と述べられても、具体的に画面の明るさが感じられないのです。そりゃ当然です。文字でスクリーンの鮮明さを表現するのは難しい。
しかし僕には、映写機の明るさ(つまりスクリーンに映し出された映像の明るさ)は大問題なのです。1970年代なかばに初めてアメリカに行ったときには、画面の明るさについてさほど気に留めませんでした(でもどこでもステレオ音響なのに感心しました)。しかし1991年に初めてAFMに参加し試写会で作品を見たとき、その画面の明るさに瞠目したのです。
その話をすると先輩から、“日本の映写機はアメリカの映写機に比べて光量が低い。戦後建てられた東宝系の映画館などがケチったせいだ”と言われ、びっくりしました。もちろんAFMなどで上映するプリント(91年当時はすべてフィルム上映でした)は、デュープ世代としても若いものが多いけれど、映写機の明るさが根本的に違うというのです。
そしてこの本は、グリーン・ハウスの支配人が東京へ出て日生劇場に関与し、フランス料理店へと転じていく過程をつづります。僕はフランス料理という“高価な食事”には全く関心がないので(手頃なランチか定食を食したのみ)、そもそも魚の選び方すら興味がないのです。そんな人間には、この本の大半は面白くないのでした。←ジャパンレコード時代に沼津出身のバイト青年から、“沼津ならどこで食べても東京より美味いですよ”と言われたことの後遺症か?
たとえば丸の内ルーブルという封切館がありましたが、この劇場が開場したとき話題になったのが豪華なシャンデリアでした。僕には関心がないのですが、映画館の話題として真っ先にシャンデリアのことが語られるというのはどういうことなのでしょう。せめて椅子の座り心地とかスクリーンの大きさ、できれば映し出された映像の見事さに言及してくれよ。
でも、スクリーンの映像は映画によって違います。上映するプリントの状態にも左右される。おそらくグリーン・ハウスの担当者は、上映する映画のプリントの内容(たとえば字幕が“打ち抜き”か“焼付”かなど)にも詳しかったと思います。その判断ができないで、ロビーに豪華な絨毯を敷いていても“無意味”だし。
つまり91年からAFMに参加した僕は、サンタモニカの“普通の映画館”で行われる試写が、実に明るい画像ばかりだったことを鮮明に記憶しています。中でもパーシー・アドロン監督の「サーモンベリーズ」を見たときには、タイトルとなったサーモンベリーのジャムの瓶の大群が輝くシーンや、アラスカの氷河のグレイシャーブルーの色味に驚嘆しました。
なのに日本公開版は字幕焼付で、“デュープしてます”感が歴然というプリントだったわけです。これは何も「サーモンベリーズ」だけの問題ではありません。「ダイ・ハード」のプリントなど配給会社の都合で“安価な外国製デュープ”だったそうで、字幕位置が日本の常識とは違っていたと言います。←少なくとも日本劇場でのプリントは暗かった。
そうは言うものの、配給会社のセールスマンたちも“一目置く”地方映画館だったことは分かりました。僕はそんな劇場を体験していないので羨ましい限り。←なにせ奈良の中央映劇は木造モルタル造で、二階席を歩くとギシギシ揺れるのでした。←センサラウンドやないんやで!
僕が体感した最高に明るい画面の映画は、3台の映写機で上映したシネラマの「西部開拓史」ですね。なにしろ画面の明るさだけで手元のパンフレットが読めたのです。でも、これだって映画そのものの面白さとは関係ありません。しかし痴漢よけにはなります(笑)。←やはりスクリーンの明るさを書き表すのは困難かも。
写真はその本からのコピーです。写真2の「河は呼んでる」、見たいなぁ。パスカル・オードレの顔が懐かしい。写真3、グリーン・ハウスで「グリーン・ドア」を上映だなんてジョークをかましてるいから火事になったんじゃないの、と下手な突っ込みをしてしまいました。顰蹙モノですね。はい、反省します。
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