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2019年08月05日05:07

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数学と科学(物理学)の関係

現在では、数学とは公理を前提に論理を演繹してつくられたものと考えられている。論理というのは、私たちがそれに沿って考えることを強いられる原理のことである。通常、無矛盾律とか推論規則と呼ばれているような論理法則のことである。私たちは論理に沿ってしか考えることはできない。論理に反していると、「それは正しくない」と私たちは感じるのである。だから、数学の正しさはそういう意味において、我々にとっては「絶対的」なのである。

公理は現代数学では任意に設定できることになっているが、昔は自明であるものとされていた。自明なものを前提に論理を積み重ねた結果は「正しい」に決まっている。そうでなければ、我々はものごとを認識できないだろう。なぜ「論理」がこの宇宙の秩序と整合しているのかと考えれば、それはたまたまだろう。ただ、「論理」と宇宙の秩序に整合性がなければ我々は淘汰されているだろうということは言える。1と2の識別ができないことの不利を考えれば、それは当然のことだろう。人によっては「人間は論理を進化によって獲得した」と言いたくなるかもしれない。

物理学はこの宇宙が現実にどのような秩序に支配されているか、ということを探る学問である。だからすべては現実の観測から始まる。個々の現象から帰納して法則を見出すのである。そうしてニュートンは「万有引力の大きさは引き合う物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例する。」という規則性を見出した。そこから F=G*m1*m2/(r∧2) という数式が導き出される。万有引力の法則が正しい限りにおいて、この数式は絶対である。もし、引力の強さがこの数式通りでないようなことがあったなら、それはこの数式が間違っているのではなく、万有引力の法則が間違っているのである。

ものごとの前提が数学の前提と一致する時、ものごとは数学にしたがって現象するはずである。もし、そうでなくなったら時、それは私たちがものごとを認識できなくなっていることを意味する。私たちは論理に反して考えることはできないからである。

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