mixiユーザー(id:64140848)

2019年07月20日11:33

49 view

三橋美智也 考

なにをかくそう、私は三橋美智也の大ファンである。日本歌謡史上最高の歌手は?と問われれば間違いなく三橋美智也の名を挙げる。私の少年時代である昭和三十年代前半は彼の全盛期で、街には常に彼の歌声があふれていた。私も歌詞の意味など分からずに「歌い出しうれしがぁらぁせぇてぇー」(女船頭歌)と声を張り上げていたものである。「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われたりしたが、その言葉は決して誇張などではない。

世上では、日本の流行歌手の第一人者は美空ひばりということになっているらしい。確かに彼女の音感は天性の素晴らしさがある。小さい頃からトップスターとしてやってきた経験も相まって、どんな歌も奔放かつ自由自在に歌いこなす。しかし、私に言わせれば、ただそれだけだ。自由自在すぎて、こぶしのまわし方などはむしろ独りよがりに見える。むろん、ファンにしてみれば、そのこぶしが魅力的で「うまい」ということになるのだろうが、彼女に対して思い入れのない私から見れば、しつこくて下品なだけだ。

それに引き換え、三橋のこぶしは澄んだ高音で軽やかである。聴いていてとても心地よい。民謡歌手であった彼の母親は彼も民謡歌手としてやっていけるように、物心ついたころから厳しく鍛え上げたそうである。小学校に上がってからは江差追分の名人であった叔父からも追分を習ったと言われている。9歳の時には全道民謡コンクールに優勝するほどになっていた。

この江差追分というのは「こぶし」や「ゴロ」と呼ばれる節回しが多いのだが、その微妙な節回しを正確に歌いこなすことが要求される歌である。彼のつきぬけたような高音と軽やかで嫌みのないこぶし回しは、厳しい修練に裏打ちされたものだったのだ。

しかし、日本歌謡界において三橋美智也が美空ひばりほどの地位を占めていないのは、彼の実質的な歌手生命が短いことがあったように思う。1963年に声帯に変調をきたして以来、彼の声の張りは失われてしまった。彼の昔のビデオを見てもカラーテレビになってからのものはほとんどが精彩を欠いている。70年代後半にミッチーブームなるものが一時的に若者の中で起こったことがあるが、私に言わせれば「ミッチー」と不世出の三橋美智也は全然別物である。

私の住んでいるところはちょうど今頃が盆踊りの季節である。今夜もどこかで「炭坑節」が聞こえてくるはずである。三橋美智也は永遠である。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する