mixiユーザー(id:64140848)

2019年07月03日21:22

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電子が存在するということ

電子というものを直接見た人はいない。しかし、電子が存在すると仮定することによってさまざまなことが説明できる。「スィッチを入れると蛍光管が光る」、「モーターがまわる」、「電子顕微鏡で微細なものを見ることができる」、その他にも私の知らない専門家によるいろいろな測定や観測があるだろうが、それらの現象(経験)全体が「電子の存在」の意味である。こういう考え方を現象主義というらしいが、だとすると、私は現象主義者ということになろうか。

しかし、ここで大森荘蔵は、そもそも「電子がここにある」ということが先立っていないと、電子の存在を意味する経験命題を定めることができないというのだ。言われてみれば、なるほどと思う。どんな法則もまずヒューリスティックな見当というものが先立つはずだ。まず、電子という粒子状の存在の相貌が立ち上がってこそ、その存在を示す現象というものを予測できるようになる。

大森荘蔵という人からは、まだまだ学べることがありそうな気がする。
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