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2019年01月27日22:46

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エリック・ゼッタクイスト

初めて知った言葉「尽くすアート」。

オブジェクト・ポートレイト
by Eric Zetterquist
@大阪市立東洋陶磁美術館


エリック・ゼッタクイスト(1962-)というアーティストの
日本初個展。


東洋陶磁美術館の所蔵品を撮影して制作した作品が
なんと実物と並んで展示される大変レアな機会です。


たとえばこんな感じ。

フォト


左はエリックさんの作品、
右はそのもととなった南宋時代(12-13世紀)の《青磁 八角瓶》


フォト



左はエリックさんの作品(まるでコールダー)
右はそのもととなった16世紀朝鮮の《白磁透彫 蓮華紋 盆台》

フォト



6世紀《青磁天鶏壺》
12-13世紀《青磁印花柳蘆水禽文 方形香炉》
もこの通り。


それぞれ古美術品のフォルムの一部が拡大されて
いるのがわかるでしょうか。


白黒のモノトーンで統一されているのが潔く、印象深い。


******


館長さんのお話をききました。


ものの肖像〜現代写真と古美術
出川哲朗(大阪市立東洋陶磁美術館長)


最初からおことわりしますと、展覧会の会期がすすむにつれ、
これが写真なのか?という気がしてきまして、
今日はタイトルとは違う話になるかもしれません。


【黒】

このポスター、いま左右に貼ってありますが、左右で黒の色が
違うのがおわかりになりますか?
むかって左は100%の黒、普通の印刷ではない黒なんです。
黒という色はむずかしくて、たとえばプロジェクターで黒は表現できません。
TVもそうですね。
ところがエリックさんの黒はインクジェットプリントで作っている
カーボン100%の黒なんです。


自慢するようですが展覧会のカタログも、モノクロページは
3色つかって黒を出しています。3回インクを重ねている。
評論家にはまっくろで面白くない、などとおっしゃるかたもいらっしゃるんですが
そもそも墨の表現では5色が出るといわれていますよね。
水墨の調子はカラーのような表現ができるんだと。


今回はひたすら「まっ黒」を追究しました。
ポスター作りも大変だった。
ポスター、今日から購入可能なんだよね?
ポスターというのは本来公報用で利益をあげてはいけないんですが。
B2サイズで触ると段差があるのが500円で限定版、
ないのは400円。
まあ2度とできませんねこんなこと。


そもそも無数にできるのは芸術作品ではありません。
芸術とはなにか、という話になっていくんですが、
数量限定というのもその条件です。再現性がない、と。
エリックさんの作品も5枚限定とか、大きいものは3枚とかしかない。
ものがよければ芸術だというものではありません。
月がきれいだとか、桜がみごとだといっても芸術ではないでしょう?
まず自然物ではない。人間がきりとる。
写真を撮って、選ぶとか。


今日は現代写真と古美術というタイトルでしたが、この展覧会は
写真展ではないという結論にもっていきたい。
エリックさんもフォトグラファーとお呼びするとちょっとイヤな顔を
されますね。いやアーティストだと。
写真家というのは商業写真など必要なものを撮るひとで。
さらに自発的に撮れば芸術家というわけでもない。
エリックが写真家とはいえないことは次第にわかってきました。


ポスターの話をもう一つさせてください。
このポスターをみて気づくことはありませんか。
そう、期日しか載ってません。
普通は入館料とか美術館の住所や地図がかいてあるんです。
でもこれには展覧会の名前と館の名前と期日だけ。
人目につくようにするには最小限度の情報しかのせないほうがいい。
化粧品の広告に値段がのっているでしょうか。
ハイアートに近いポスターほどミニマムな表現になります。
作品自体もミニマルアートであればプレゼン資料とは違ったものになる。
今回のポスターにはQRコードがある。この方法が流行りつつあります。
詳しい情報はそこから。
そもそも文字情報というのはそれを印刷した当時のもので
最新情報ではないですからね。


で、このようにずらりと様々な展覧会のポスターが並んだところを
みてください。
これ、いいでしょう?
むかし当館でルーシー・リーの展覧会をやったことがあるんですが
そのときも作家名だけのシンプルなものでしたね。
サントリー美術館にはポスターのコレクションがありますが
ポスターも50年たつと作品になりますね。
今回の作家も有名になるかもしれませんよ。


【作者について】

さて、エリック・ゼッタクイストさんというのはどういう人なのか。
そもそも何人か。
スウェーデン移民ともいわれていますが
6カ国くらいの混血かな、などとさらりとおっしゃいます。
ヨーロッパでは国籍を除いたら何人であるかはっきりといえないようですね。
ですからスウェーデン系アメリカ人。


杉本博司さんの助手をされていました。
杉本博司さんというと安藤忠雄、村上隆、草間彌生さんと並んで
日本を代表する、海外で誰もが知っているアーティストですね。
その杉本さんも売れていない時代があった。
そのとき杉本さんは古美術を扱っていらっしゃいました。
古美術というのは作家名が書いてあるわけではないし
作品のクオリティだけで価値が決まります。
だから自分の審美眼だけで判断して、相手を説得しなければいけない。
眼があるというのはそういうことですね。
例外として茶道具には「伝来」というのがある。
だれそれが持っていた、とかね。
エリックさんは杉本さんと働いてその眼をつくった。
そして杉本さんが《海景》を撮り始めた90年代に独立した。
独立って、古美術商として、ですよ。
だけれど杉本さんのもとで「みる眼」と「写真技術」を学んだ。
古美術商としていいものをみつけて人に紹介する、でもそのうち
自分でも作品をつくりたい、と。


2014年にアーティストとしてデビューしました。
でも杉本さんと同じ事はできない、それでオブジェクトポートレイト
というのをはじめた。
2017年には『Objedt Portraits』という作品集もでた。
受付に見本がありますけど、写真集って高いですね。50ドル。
ごらん頂くと解りますが、まるで東洋陶磁美術館の作品集みたいです。
うちの図録は安いですよ。3色刷りだし。


【本展について】


展覧会前にご本人が来日されています。
作品をつくって終わり、でなくどのように展示するかにも関わる。
特に今回は、展示方法にあわせて作品の大きさを決めましたので


★オーダーメイドの展覧会である


というのが大きな特徴です。
古美術とは別に作っていますから、本来は独立した作品なのですが
本展ではその元になったものも一緒に並べました。
純粋にモノクロ抽象造形として楽しむのが本来ですから
当然並んでいないものもありますので、そんな場合は


★もとの作品探しもできる。


そして今回、展示室の全ての扉を開放しました。
すると当館の構造に慣れていないかたはどこからみるのか解らなかったりする。


★美術館に来たら是非(道に)迷ってください!


迷うと新しい発見が必ずあります。
まあ何万人もお客さんを入れようとすると一方通行にならざるとえないんですが。
企画展で章立てをやると主催者側の意図に従ってほしいでしょうしね。
しかし海外などでは100以上の展示室がある巨大な美術館もありますし
順番にみるのはムリなんですよ。
常設展のありかたとはそういうものです。
順路があるのは特別展だけですね。
東洋陶磁は常設中心ですから。
みるひとの意識が自由でなければ芸術は鑑賞できません。


・《月白釉 椀》12-13世紀
この作品は椀が置いてなければ単なる2本の横線にしかみえない。


入口にちょとした文が掲げられていますが、これはエリックのために
クラークさんという方が書かれた論文の抜粋です。訳したのは宮川智美さん。


「器の一部分を拡大することによって、
いかに力強い表現になることか、驚くべきことである。
距離感を変えてより近づくならば、
それは抽象化され、
文字通りの主体は失われて。
全ての色が相殺された黒い色面に、
滲んだようなぎざぎざとした線で縁取られて、
色彩のない空白へと姿を変える。
このとき陶磁器の主体は取るにたらないものとなり、
抽象芸術が観るものを包み込む」


あと、カメラマークも入口にあるでしょう。
この展覧会は撮影可なんです。
写真撮影について当館の考えをお話します。
展覧会を撮影可にするとクレームがくる。
「シャッター音がうるさい」「写す人が作品の前に陣取って動かない」
これはマナーの問題です。


そもそも古美術では作家は亡くなって50年以上たっている。
東洋陶磁には所有権しかない。著作権はないんです。
携帯で撮るようになってストロボも要らなくなったし。
メモ代わりに撮って欲しいですね。
撮影を禁じるひとの言い分としては
「撮らせるとカタログが売れない」
「(仏像の)魂がぬかれる」
「寄託品がある」
とかね。寄託者のOKがあればいいのか。
まあ複製を販売すると持ち主から賠償を求められるかもしれませんね。
美術館ではバック(背景)込みでしか撮れないじゃないか、というのが私の考えです。
建築は誰が撮ってもいいでしょう?
屋外彫刻も。
パブリックドメイン、人類共通の財産だと。
美術館で展示されている風景をとっても同じではないかと。
写真家には著作権がある。保護しなければいけないものとそうでないものを
きちんと分けるようになってきましたね。


さきほど色々なポスターが並んでいるところをお目に掛けましたが
国立国際美術館のポスターのメインビジュアルになっていた中西學さん、
本展にきてくださいました。
そのときの写真。
(冒頭写真の作品にむかって山水画を描いているかのようなパフォーマンスをする中西さん。
傍らにはエリックさん本人)
古美術ファンからは「あの名品を!ちゃかして!」と怒られそうですが。
でも山から川が流れて、下方には舟も浮かんでいるような、まさに水墨でしょう?
さらにそれを回転してみると・・・今度は山みたい。
さかさまにしてみると・・・鼻の高いひとの横顔みたい。
もう、観る側の自由なんですよ。
21世紀の眼でみる。


・《汝窯青磁水仙盆》をもとにした作品、こちらも
汝窯青磁のファンのかたには「こんな線になるわけない」っていわれますが
実際にある角度からみると口縁がこうみえます。
中西先生、これの前でもパフォーマンスしてくださって。
いい先生ですね・・・というかノリのいい先生です。


エントランスの上の2作品、秋山先生の上に展示するのはイヤだとエリックさんは
言ったんですけれど、おいてみたらぴったり。
寄贈いただければずっとおいておきたいですねえ。外からも見えるし。


あとこれは12世紀の《青磁陽刻 双鶴文 枕》がもとになった作品。
それをみながらエリックさんと私がなにやら座って話している。
この椅子ね、今回の展覧会に合わせて買いました。
フリッツ・ハンセン。高いんですよ。
ここは公立なんで、役所的には高い本物と安い偽物があった場合には
安い方を買わないといけないようなんですが、これは本物を買って貰いました。
安物では興ざめでしょう。
美術館では空間全体が芸術品なのですから。


【制作態度】


作家のことばを紹介しましょう。
エリックからのメッセージ。翻訳は宮川智美さんです。


「数え切れないほど多様なアートが存在する。
喜ばせるアート、売るアート、叫ぶアート、
そして尽くすアートである。すべては
それらの置かれた時と場所との関連性を追い求める」


ここで喜ばせるアートというのは愛・美・欲望の感覚を刺激するもの
売るアートというのはウォーホルのようなもの
叫ぶアートというのは悲惨・貧困など社会問題を叫ぶ表現ですね。
では尽くすアートとはなにか。


「私のアートは、他の芸術に仕え、鑑賞者に教え伝え、彼らが
相互に作用し、かつ体験を共有できる場を実現させようとするものである」


「鑑賞者には今日の世界における自分の居場所のみならず、時代を超えて
広がる人類の一連の繋がりのなかで、自分がどこに位置づけられるのか、
自分の目で確かめてほしい」


哲学的で難しい。彼は伝道という言葉も使います。宗教のようですね。


「今日容易に理解されるようになった抽象表現を用いて、私が昔から
主題としてきた造形によって表現されている、古代の美の理想を伝える、
いわば鑑賞者たちの「眼を騙して」理解してもらうのである」


「何千年もかけて我々の祖先が生み出した同一の物に、同じ美しさを
認めるとき、私たちはもはや互いに争うことなどできなくなってしまう」


まあ、現実にはそうきれいな訳にはいかない。
同一のものに同じ美しさを認めるとは限らないですしね。
古代の美と同一という保証はない、でも観ている対象が同じなのは確かです。


私と他人、同じ時代で同じものをみていても
違うふうにみているかもしれない。
日本人とアメリカ人で違う。
その道のプロとシロウトでは違う。
ただ今まで残ってきたということは、同じ美しさを
みているのではないか。
そうした共同体的な概念、共感、
同じ物をみて感動するということに奉仕するのだと。
独り合点でなく、多くの人が思うことで連帯感が生まれる。


「現代の問題を声高に叫ぶのではなく、目先の利益を追うのでもなく、
私のアートには、美しく、今日的な意義のあるものであってほしい」


「我々の世代のみならず、未來においても同様に」


「人間はいつも過去と結ばれている必要があり、その関連性を永遠に
追究することこそ、私が尽くすアートを制作する所以なのである」


【版画と写真と】


この版画、というのはシルクスクリーンと読んでいただきたいです。
共通するのは大量生産ということですね。
写真が発明されてかれこれ200年です。
ダゲールは1837年に初めて芸術作品を撮影しました。
写真が肖像画の代わりになる、というのは比較的すぐにわかったようです。
・ジュリエットの肖像(1832)〜リトグラフ
・ジョルジュサンドの肖像(1834)〜木版
・ビクトルユーゴーのポートレイト(1853)〜写真


それがマン・レイやスティーグリッツによって
芸術表現の手段になる。
写真のモダニズムですね。
さらにはシュルレアリズムにも写真表現が使われる。


エリックさんのオブジェクト・ポートレイトは
ドローイングでいうなら1950年代の流行に近い。
・《三彩貼花 宝相華文 水注》が元になっている作品
などは
キース・へリングのような線でしょう?


それでは、いまのエリックさんがどんな作品を
作っているかというと
こんなふうなカラー作品ですね。
これをとてつもなく大きく拡大するんだとか。
マーク・ロスコのようになりそうですね。
もしくはカラーフィールドペインティングか。


ウォーホルは
写真を→トリミングし→シルクスクリーン作品にしました。
エリックさんは
古美術を写真にとって→部分拡大し→インクジェットプリントする。


技能的プロセスはよく似ています。
よって、エリックさんの作品は写真でなく現代美術だと思うわけです。


かつての美術展といえば、作家の歴史か、時代順に作品を並べる方式でした。
しかし今や、共通するものがあればゴッホと草間彌生を並べて展示してもいい。
美術館は博物館とは違うので、印象による配列ができるのです。
クレーとイサムノグチ
ルネサンス絵画とリキテンシュタイン
が隣り合うのがいま。


最後に古陶磁の新しい肖像について。
摸写、記録、芸術と歩んできてこれからは。
今のアーティストは自分で筆をとりません。
コンピュータが描き、3Dプリンターが作る。
「ろくろって何?」という時代が来るのでしょうか。


(ではそのとき私たちはそれをどうみたらよいのか。
技術を磨くのは無駄なのか。
人間の作品とAIの作る作品は同列でないのか。
時間があれば更に色々お話しいただけたのかもしれません)




2月11日まで。
http://www.moco.or.jp/exhibition/current/?e=524




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