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2018年12月30日11:28

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東西の思想の違い?

人それぞれに自分の育った環境や文化によって培われた発想の違いというものはある。当然、洋の東西によって大まかな傾向の違いというものもあるだろう。しかし、「相対の中で生きている我々は絶対の西洋を理解することはできない」などというのを聞くと、「あれれっ」と思ってしまう。
具体的に自分はどういうところでそういうことを感じたのかという、ディーテイルなしに大まかなことを述べてはいけないと思う。どんな思想にもそれなりの普遍性がある。そうでなければ我々が西洋哲学を勉強する意義もないはずだ。西洋哲学にもいろんなバリエーションがあって、一口に「絶対」ではくくり切れない。全体論などという絶対的基盤を拒否する考え方も西洋には生まれてきているのだから。

初めから無神論者である日本人にはニーチェは理解できない、というようなことを聞いたことがある。確かにキリスト教についての知識がなければ、「ツァラトゥストラ」の中の聖書のパロディというものには気がつかない。私なども解説書を通してそういうことを知るだけである。しかし、ニーチェが既存の規範の偽善性に対して拒否感を抱いていること、自分の本性に基づいて新たな倫理規範を築こうとしていることは、キリスト教に対する知識がそれほどなくても読み取れる。私はそれで十分ではないかと思っている。それこそが社会から疎外された若者がニーチェに共鳴する所以であり、それこそがニーチェの普遍性というものだと思う。
もちろん、キリスト教に対する知識があれば、「ツァラトゥストラ」から読み取れるものはより豊かで味わい深いものになるだろうが、「それが分からなければニーチェが分からない」というのは浅薄な教養主義というものである。人生の時間は限られている。興味があればキリスト教を徹底的に勉強するのも良いが、勉強する課題はいくらでもほかにある。

結局何が言いたいのかわからなくなるところだったけど、哲学は具体的に何かを思考することにあるのであって、大雑把な物言いの中にはそれは無いと言いたいのである。
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