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2018年12月11日07:23

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白米三合×3

 「子供の体をしっかり育てる」と称して「毎食白米三合(つまり一日九合)」を義務づける少年野球の指導者が日本にいるそうです。明治時代の兵隊でも一日六合ですよ。兵隊よりも“強い"リトルリーグ野球選手を作りたいのかな? だけど明治時代には「米ばかり食っているから、日本の兵隊は体格で欧米に劣るんだ。もっと肉を食え」と言っていませんでしたっけ?

【ただいま読書中】『PANA通信社と戦後日本 ──汎アジア・メディアを創ったジャーナリストたち』岩間優希 著、 人文書院、2017年、3200円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4409241184/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4409241184&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=1e71a31a6d5b32b72c5f67fb27b8edaa
 著者は大学院時代に、岡村昭彦(日本人ジャーナリストとして最初にヴェトナム戦争を取材した人)を研究していて、岡村がPANA通信社の特派員であったことを知り、PANA通信社について調べ始めると、「時代」と「社会」と「壮大な人間ドラマ」が見えてしまいました。そのため、博士論文を書いた後も研究を続けた結果が、本書です。
 1945年日本の敗北後すぐにベトナム民主共和国の樹立が宣言されました。しかし欧米では重要な「自由」「独立」の概念はアジアには適用されず、ヴェトミンとフランス軍との長い戦いがあり、1956年にやっとジュネーブ協定、2年の期限付きでヴェトナムは南北に分割されました。しかし56年に総選挙は実施されずヴェトミンはそれまでの政治闘争に加えて武装闘争を開始。54年から介入をしていたアメリカは南ヴェトナム援助軍司令部を設立。宣戦布告なしに「戦争」が始まりました。しかし日本はこのことに興味はなく、マスコミのどの社もサイゴンに特派員を常駐させてはいませんでした。63年PANA通信社の特派員として岡村昭彦がサイゴンにやって来ます。日本の大手が64年のトンキン湾事件で「これは大ごとだ」と認識してサイゴンに支局を開設し始める1年以上前のことでした。実は岡村はジャーナリストとしての経験がない素人だったのですが、現場で自らを鍛えて腕を上げ、大手メディアに記事や写真が掲載されるようになります。ただ「(戦争の実相を撮影した)良い写真」は日本の大手新聞社には受け入れられず、ライフ誌の特集で使われることになります。岡村はさらに突き進みます。戦場を見るのに、南ヴェトナム政府軍に従軍する形だけではなくて、解放戦線の側からも見たい、と思ったのです。岡村は思ったら即座に行動する人のようですが、それは当然のように会社との対立を招きます。
 PANA通信社は「Pan-Asia Newspaper Alliance」の名前が示すとおり、「アジア人によるアジア発のアジアのニュース」を扱う通信社でした。しかし、破天荒な人たちが動かしていたためか赤字が続き、最終的には「アジア戦略」を打ち出した時事通信の傘下に入ります。戦争中に国策通信社として活動していた「同盟」は、戦後自主的に解散して「共同通信(社団法人)」と「時事通信(株式会社)」に分かれました。「共同」は組合新聞社からの分担金で経営ができますが、「時事」は経営が大変でした。
 さて、話がここまで進んだところ(本の半ばを過ぎたところ)で「PANA通信社の生い立ち」が語られ始めます。もしかしたら著者が調査して結果を得た順番に書いているのかな? 私だったら、ちょっと原稿の順番を入れ替えるかもしれません。
 戦勝国のジャーナリストとして来日した人たちの中に、中国中央通訊社の宋徳和がいました。本書に登場する人たちと同じく、彼もまた「時代」を背負っていました(たとえば、上海、南京、パナイ号、香港(ブラック・クリスマス)、と彼が移動するあとを戦火が追いかけています。しかも連合軍の従軍記者時代も「日本兵と中国人の区別がつかない兵士」に撃たれる危険性が常にありました)。日本では政財界の要人たちと多く出会い、香港に戻ってPANA通信社を設立(会社の記録では1949年となっています)。そのとき胡文虎(タイガーバームで大富豪となった人)の支援があったそうです(実際には胡文虎の息子の胡好が出資したようです)。ニュース提供は、英語・日本語・中国語で、大手の通信社と同じレベルの写真を使っていたことが当時としては珍しいことでした。
 日本で「写真報道」と言うと、すぐ思い出すのは「写真週刊誌」です。スキャンダルとお色気と、ちょっとのニュース。「ライフ」のような雑誌が日本に定着しなかったのは、なぜなんだろう、と私は少しもったいない思いがします。
 シンガポールに住む華僑の人が「支配者が変わると自分の国籍は、イギリス、日本、イギリス、マレーシア、シンガポール、と変わった。だけど自分は自分。国籍はたいした意味はない」と言うシーンがあります。もしかしたら、本当に「国籍」というものには、それほどたいした意味はなくて、それが大したものだと思い込んでいるのは思い込んでいる側に何か大きな問題があるからなのかもしれません。


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