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2018年12月10日07:02

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三界

 恋人に「私と仕事、どちらが大切なの?」と迫る人は、子供時代には「私とお姉ちゃんとどちらが大切なの?」、自分に子供ができたら「お父さんとお母さん、どちらが好き?」、子供が結婚したら「自分の親と相手の親、どちらが大切なの?」などと迫り続けてるのでしょうか?

【ただいま読書中】『日本ワイン誕生考 ──知られざる明治期ワイン造りの全貌』中田道弘 著、 山梨日日新聞社、2018年、2900円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4897104459/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4897104459&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=21275d9d5b12f96187d9fc51ed182219
 「ワイン」は日本語では「葡萄酒」になります。で、江戸時代にも「葡萄酒」はありましたが、実はこれは「ワイン」ではありません。「ワイン」の定義は「葡萄または葡萄の果汁を発酵させたもの」ですが、江戸時代の「葡萄酒」は「清酒や焼酎に煮詰めた葡萄果汁を加えたもの」なのです。中国では葡萄の果汁に麹を加えて発酵させた「葡萄酒」も作られていて、日本にもその製法は伝えられていたので、日本に自生する山葡萄で「発酵タイプの葡萄酒」が作られたかもしれません。
 明治時代、横浜など外国人居留地で、ビールやワインが飲まれるようになりました。それを味わった日本人の中に自分で作りたいと思う人が登場します。その先駆けとなったのが明治3〜4年に甲府でワインを製造した山田宥教と詫間憲久でした。明治以前からワインの試作を繰り返していた山田が酒造免許を持っている詫間と組んだのではないか、と本書では推測がされています。酒造免許にしても酒税の制度にしてもまだ固まっていない時代、これまで日本になかった「ワイン」を作ろうというのは大冒険だったはずです。やっと良いワインができたのは明治6年。8年に一般に売り出され、甲府新聞の記者が購入してその記録が記事に残っています。また、東京で陸海軍省にも売り込みがされました。
 私が「甲府ワイン」という言葉を初めて聞いたのは、昭和40年代半ば頃だったかな。そのころ庶民の家庭で「ワイン」と言えば「赤玉ポートワイン」だったのですが、テレビか新聞で宣伝しているのを見た新しい物好きの親が買ってきた赤ワインを一口飲んで「渋い」と思った記憶があります。しかしそれが明治初めまで遡れるとは、驚きです。だって当時の日本人(大人)は全員「江戸時代育ち」ですよ。それが、ワイン?
 甲府新聞の記事を読むと、葡萄の糖分をアルコール発酵させていることを詫間がきちんと理解していることがわかります。面白いのは、麹(乾燥させた麦麹)を加えていること。日本酒醸造の応用か中国のやり方を知っていたのか、どちらかでしょう。
 余計なことですが、写真で見る甲府日々新聞の記事では漢字に丁寧にふりがなが振られていますが、甲府新聞の記事はあまりふりがなが使われていません。読者層が違うのかな?
 しかし最終的に二人の事業は「廃業」となり、国は開拓使と内務省が主導しての「官製事業」としてのワイン造りなどを日本のあちこちで進めます。しかし明治11年に大久保利通が暗殺され松方正義が大蔵卿として財政緊縮政策を進めるようになって、官営事業は民間に払い下げられるようになります。山梨の県立葡萄酒醸造所は大日本山梨葡萄酒会社に払い下げられました(5750円72銭7厘で建設された施設ですが、1633円で払い下げられています)。会社は株券法式で出資者を募って資金を集め、まず二人の青年をフランスに出張させてワイン造りを学ばせました(まだ「株式会社」がきちんと確立されていなかった時代のお話です。いくら県令のお声掛かりとは言え、出資者がよく見つかった、と思います)。
 政府の勧農局は、日本のワインの品質を上げるためには欧州産の葡萄が必要と判断、その苗を全国に配布しました。ところが東京三田育種場で害虫のフィロキセラが大量発生、それも全国に広まってしまいます。その退治は大変でした。
 明治20年ころから民間のワイン醸造所が盛んに活動をするようになります。山梨では土屋合名会社(現在のまるき葡萄酒)や宮崎醸造所(現在のメルシャン)が大日本山梨葡萄酒会社から派生、鯛抄年には山梨県内に40を越えるワイン醸造所が作られました。同年の日本全国ではワイン醸造所は427、年間ワイン生産量は460キロリットルでした(現在の日本ワインの生産量は1万6000キロリットル)。
 たしか「ワイン」は、人類が出会った最古の酒だったはずです。貯蔵していたら自然発酵してしまいますから(蜂蜜酒も、木のうろに貯蔵した蜂蜜が自然発酵したらできるから、これまた「最古の酒」の候補ですが)。日本ではワインに適した葡萄が自生していなかったから(あるいは発酵する前に食べ尽くしていたから)「ワイン」は存在していませんでした。それが明治になるやいなや日本でどんどん製造されるようになったとは、やはりワインには何か特殊な魅力があるのでしょうか。最近はコンビニでも安いワインをたくさん売っていますが、日本にワインは完全に定着したのかな?


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