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2018年12月03日07:28

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言動一致

 「感動」と言われたら感動し、「号泣」と言われたら号泣すること。
 ということで、テレビ番組や映画を宣伝している人は、「感動しろ」とか「号泣しろ」とか要求が多いのですが、客に「言動一致」を要求しているようです。

【ただいま読書中】『大英帝国のアジア・イメージ』東田雅博 著、 ミネルヴァ書房、1996年、3500円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4623026175/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4623026175&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=ca26d99aed0e12ceca15fec1d5458db3
 ヴィクトリア時代、イギリスでは植民地や帝国経営に関して膨大な論争が行われました。本書はその論文に関する研究です。
 日本が帝国建設の時にかかげたスローガンは「大東亜共栄圏」でしたが、大英帝国の場合には「文明化」でした。「イギリス=文明」「イギリス以外=野蛮」とまず定義づけます。すると文明人の「使命」は「野蛮人の教化・文明化」です。さらに「工業生産」は「文明国」だけが担当するべきだ、とイギリスは主張します。つまり「イギリスが工業を独占する権利」を有し、「野蛮国はイギリスに食糧を供給する義務」を負うのです。さらにその権利と義務を支えるのが「自由貿易」です。こうすることで世界中の人間はハッピーになれる、がイギリスの主張でした。
 今にして思うとずいぶん傲慢な主張に見えますが、ヴィクトリア時代のイギリス人はほとんどその主張の正しさを丸ごと信じていたようです。何しろ(世界の他の地域の人はともかく)イギリス人はそれで確かに“ハッピー"になれるのですから。かつての日本人が「大東亜共栄圏」を丸々信じていたのと似ています。
 「教化」の効果について、イギリスは黒人とアジア人とに差をつけます。その原因は「日本の革命(明治維新)」で、「黒人は常にプレッシャーをかけていないとすぐに野蛮に戻ってしまうが、東洋人は不完全ながらでも文明化が達成できそうだ」とされていて、これが後の南アフリカでの「日本人の名誉白人扱い」につながっているのかもしれません。
 ただ「文明」と「野蛮」の二分法は、「古代文明の軽視」を生みます。だって「野蛮な地域の(もっと野蛮だったはずの)大昔の話」なのですから。もっともそれに対する反対意見も活発に出されていて、ちょっと私はほっとしますが。
 19世紀を終わらせた思想界の巨人として、ニーチェ・フロイト・ソシュール・マルクスが上げられることがありますが、イギリスからこの手の「巨人」が登場しなかったのは、もしかしたら大英帝国の呪縛があまりに強すぎたからかもしれません。そういえば小松左京は「19世紀の世界を不幸にした主犯は大英帝国だ」なんてことをどこかの作品で登場人物に言わせていましたっけ。大英帝国としてはそんな批評は不本意でしょうけれどね。


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