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2018年11月25日07:40

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ゲームAI

 オセロ・チェス・囲碁・将棋……人類が楽しむ「ゲーム」が次々AIに席巻されています。だったらそういったゲームはもう顧みられないのか、と言えば違うでしょう。エンジン付きの乗り物に速度で負けても、人類はかけっこを続けています。それと似ているのではないかな。

【ただいま読書中】『「次の一手」はどう決まるか ──棋士の直感と脳科学』中田裕教・伊藤毅志・勝又清和・川妻庸男・大熊健司 著、 勁草書房、2018年、2500円(税別)
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 2007年4月「将棋を題材として、人の思考の仕組みを脳科学的に理解しよう」という「将棋思考プロセス研究プロジェクト」が日本将棋連盟・富士通・理化学研究所の協力で発足しました。
 同様の実験がチェスを対象に20世紀から行われています。面白いのは「グランドマスターとアマチュア上級者で、読みの精度や深さにはそれほど差はない。ただ、最初に思いついた候補手が最善手である確率がグランドマスターではとても高い」とか「チェスのある局面を記憶する力は、チェスの強さに比例する。ただし、アトランダムに駒を配置した場合にはチェスが強い人でも記憶できなくなる(ある種のパターン認識をしている)」といった研究結果です。局所的な駒の配置は「チャンク」と名付けられ、数万のチャンクを脳に保有している人はエキスパートレベルであることがわかりました。ただチャンクは文章で言えば「単語」に相当するもので、それらを結びつける「文法」にあたるものが「テンプレート」と呼ばれています。盤面の全体的な駒の配置で、将棋だったら「矢倉」とか「向かい飛車」とかの戦法がテンプレートに相当します。
 「小脳仮説」という面白いアイデアが登場します。小脳は運動の無意識的な細かい調整などの司令所ですが、私たちが経験を色々積んで「メンタルモデル(外の世界についての知識)」を形成してそれを使ってくり返し世界を認識していると、そのコピーが小脳にも作られ、いわば「無意識に運動をする」ように思考をするのではないか、という仮説です。小脳を使う利点は「無意識」「自動的」「高速」であることです。そのためトレーニングを積んだ熟練者の思考は直感的になっていくのではないかと言うのです。
 そういえば私も、将棋ではそのレベルには到達できませんでしたが、自分の商売の領域でだったら、直感的に正解を出してしまって自分も周囲も驚く、という経験を何度かしています。これが「何度か」ではなくて「常に」だったら「この商売の名人」になれたかもしれないんですけどね。
 動物実験では「合図をしたら考えてください」と言っても無理です。人間でも実は難しい。しかし棋士は「合図をしたら集中的に考える」ことに慣れています。そこで棋士をMRIに閉じ込めて合図と共に詰め将棋を解いてもらう、なんて研究が始まります。研究のメインテーマは「直感の解明」。1940年代のチェスでの研究で、エキスパートとアマチュア上級者の決定的な差は(局面の論理的な分析や読みの量ではなくて)「直感の精度(最善手が第一感で浮かぶ確率が高い)」だとわかっていたので、そこを深掘りしていこう、というわけです。
 チェスの「チャンク」に相当するものが将棋では「空間的チャンク」と「時間的チャンク」に区別できそうだ、という研究は読んでいてなかなかスリリングです。そういえば私も人生で一番将棋が強かった時期には、頭の中の将棋盤に並べられた駒が早送りで勝手に移動して局面がどんどん変化する、なんてことを経験できています。あれは時間的チャンクの把握だったのかな?
 ゲームAIの進化は、将棋と囲碁で違っているそうです。将棋では総当たり的にゲームの進行を「読ん」でいくことで強くなりましたが、囲碁(特に「アルファ碁」)はディープラーニングによって熟達者の視覚的イメージの直感的判断力を手に入れることで飛躍的な棋力の向上を果たしました。将棋は「読み」のウエートが強く、囲碁は視覚的イメージのウエートが強いゲームだ、と言えるのかもしれません。将棋AIは現在「強くなること」は一段落して、「人を楽しませる」とか「学習支援」といった「人との関り」を重視したものの開発が始まっているそうです。将棋の対局でも「攻めの棋風のAI」を相手に守りの練習をしたり、なんてのは楽しそうです。
 本書の著者の一人は「奨励会の年齢制限ぎりぎりの26歳で四段昇格ができた人」です。最近『奨励会』『サラの柔らかな香車』で棋士になれなかった人の厳しい人生について続けて読んでいたので、「プロになれて良かったね」ではあるのですが、ぎりぎりでなれた人にはまた別の苦労があるようで、その本音が文章からにじみ出てきます。
 「コンピューターがどのように次の一手を決めているか」の研究も興味深いものです。何より特徴的なのは「感情が入らない」こと。コンピューターだから当然だとは言えますが、「わかりやすい」とか「こわい」とかの感情を入れずに「読む」コンピューターを見て「我々は将棋をまだ本当には理解していなかったのかもしれない」と呟くプロ棋士の言葉が印象的です。


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