mixiユーザー(id:235184)

2018年11月14日07:12

157 view

江戸の名医

 「赤ひげ」が有名ですが、あれはフィクション。実際にも江戸時代に名医はいたでしょうが、名医と言っても、レントゲンもなければ全身麻酔も普及していません。人体解剖の知識を持っているのは『解体新書』以降の蘭方医だけですが、彼らも各臓器の働きを詳しく理解しているわけではないし、理解していても現代のような薬物や手術でそこに手が届くわけではありません。
 私が患者だったら「江戸の名医」ではなくて「21世紀の平凡な医者」の方を選択するでしょうね。

【ただいま読書中】『江戸期 文化人の死因』杉浦守邦 著、 思文閣出版、2008年、2500円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4784214224/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4784214224&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=0f04285d0811992f5834e41fd15a3d4c
 江戸時代も人は病気で死んでいますが、「病名」が現在のものとは全く違うため、簡単にその死因を特定することができません。たとえば「淋」は「(前立腺肥大などによる)排尿障害」のことで現在の「淋病」にあたるものは「膿淋」と江戸時代に言っていました。「癌」ということばは五代将軍綱吉の時代にすでに言われていましたが、「皮膚のできもの(のひどいもの)」として扱われています。病気の内容もずいぶん違います。江戸時代には脚気や疝気(フィラリア症)が多く見られましたが、最近そんなものは日本では流行していません。また「カルテ」も当然ながら入手が困難です。そこで著者は、本人の日記や面会に来た人の日記を手がかりとして「その人」がどんな病状であったか、をまず現代医学の言葉で表現し、それを手がかりに病名を確定しようとします。現代の医療訴訟などでも「カルテを手がかりに死因を確定する」作業が行われていますが、それでも意見が割れます(意見が割れるから訴訟になる、とも言えます)。それを「古文を現代文に翻訳、解釈」「その上で死因を確定」ですから、これはなかなか困難な作業だろう、とは言えます。だけど「謎を解きたい」はある種の人間の本能なのです(実は私もその「ある種の人間」の一人なのでその気持ちはよくわかります)。
 井原西鶴は多作で知られていました。ところが元禄二年(1689)にぱったりと出版が止まります。2年後に復活しましたが、小説ではなくて誹諧の本で、元禄五年にやっと『世間胸算用』を刊行しています。また『西鶴置土産』に「此の書は病中の手ずさび」とあり、どうやら病気をしていたことは確かです。自分で描いていたさし絵や文字なども手がかりに、著者は「西鶴は脳卒中を起こした」と仮説を立てています。これが真実かどうかはわかりませんが、この推理の過程で井原西鶴の生活があぶり出されて、なかなかにスリリングです。
 荻生徂徠は江戸時代の三大思想家の一人ですが(他の二人は伊藤仁斎と本居宣長)、死に際してあらぬ事を口走ったために「実は大した人間ではなかった」と悪口を言われるようになりました。私から見たら「優れた人間の悪口を言いたくて仕方ない小人が絶好の口実を見つけただけ」と思えますが、本書では「死ぬ前に荻生徂徠が浮腫に苦しめられていた」ことを手がかりに「慢性腎炎を患っていて、最後は尿毒症(と腎性脳症)になっていた」と仮説を立てます。腎性脳症だったらうわごとを言っても仕方ないです。小人は病気にならなくてもふだんから“うわごと"を言っていますけどね。
 賀茂真淵はフィラリア病に苦しめられていました。江戸時代には静岡(賀茂真淵の出身地)あたりの「風土病」として知られていた病気です。そういえば以前「戦前には琵琶湖近くでマラリアが風土病だった」と読んだことがあります。過去の日本は今の日本とは相当違う「国」だったようです。


2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年11月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930