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2018年10月31日06:59

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カリキュラム

 小学校で英語を教えるのもいいですけど、「日本語教育(ネットでやたらと見るような日本語が貧しい人たちではなくて、もうちょっとまともな日本語が使える人を増やす)」や「健康教育(迷信や盲信ではなくてきちんと自分の体のことを理解する)」も小学生の内から教えておいて良いのではないです? ついでに簡単な経済学(クレジットカードの仕組みや特殊詐欺の手口ややたらと安易に借金をしてはならない、など)も。あ、「安易な借金」は別に日本政府を批判しているわけではないですからね。個人防衛の話です。

【ただいま読書中】『ハンガー・ゲーム』スーザン・コリンズ 著、 河合直子 訳、 メディアファクトリー、2009年、1800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4840130639/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4840130639&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=47be65ba49a1bf5c21c05deadd04a9a0
 いつか(おそらく未来)、どこか(おそらく北アメリカ)。「キャピトル」は支配する12の地区に飢えとハンガー・ゲームを押しつけていました。年に1回の「刈り入れの日」、「贄」として、それぞれの地区に住む12歳〜18歳の子供の中から男女一人ずつを抽選で選択し、計24人に周囲から隔離された闘技場で殺し合いをさせます。最後に生き残った一人とその出身地区には栄誉と食糧、他の地区には屈辱と飢えが与えられます。そしてすべての地区には悲しみとあきらめも。
 「今日は皆さんに、ちょっと殺し合いをしてもらいます」の「バトル・ロワイアル」を連想させる状況設定です。
 物語の語り手は、石炭採掘が主産業の第12地区に住む16歳の少女カットニス。一緒に選ばれた男の子は、カットニスがひそかに恩を感じているパン屋の息子ピータ。二人は豪華列車でキャピトルに運ばれます。キャピトルはもっと豪華な環境で、自分たちが押し込められている劣悪で過酷な環境と比べてカットニスは怒りを覚えます。しかしそれを表に出しません。反逆者と思われたら不利ですから。
 異様に派手な開会式のあと、3日間のトレーニング期間が設けられます。しかしすでに戦いは始まっています。自分が何が得意なのかの手の内を他地区の贄に知られないようにしながらトレーニングをする必要があります。もちろん心理戦も仕掛けられます。裕福な地区は、あらかじめ子供たちに訓練をさせています。まるでプロを養成するように。プロと言っても、プロの贄なのですが。
 カットニスの専属スタイリストになったシナは、なぜかカットニスに肩入れをします。それどころか理解と共感も。横暴で腐敗した抑圧者ばかりのキャピタルになぜそんな人がいるのでしょう?
 そして、とんでもない場面で愛の告白。えっと、これも何かの戦略? 心理的揺さぶり? つまり「ゲーム」? それとも、真実? カットニスは何を信じて何を疑うか、それが自分と相手と周囲とにどのような影響を与えるのかまで計算しながら行動を決定しなければなりません。
 お互いに殺し合わなければならない中でも、とりあえず生き延びるために協力をしなければならない場面もあります。さらに、追尾式カメラで闘技場(毎回違う場所が選択されますが、今回はカットニスが得意とする森林や草原)を移動する贄たちの行動は常に世界中に放送され、さらに場面を盛り上げるために(派手な人死にが出るように)ゲームの管理者たちが便利なツールを配ったり山火事を起こしたり水の流れを変えたりの干渉をしてきます。慣れない環境での狩りや植物採集のサバイバルをし、人とは殺し合いをし、さらに自分たちに殺し合いを強制して喜んでいるキャピトルの支配者たちとテレビの視聴者たちになんらかのメッセージを送りあわよくば一泡吹かせたいと、カットニスたちは心身の力を振り絞ります。
 そして、なんとか生き延びたと思っても、それは「ハッピーエンド」ではありません。ここから明らかに「次のゲーム」というか「ゲームを越えた戦い」が始まります。おっと、本作は3部作なんですね。第二部も読まなくっちゃ。


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