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2018年10月25日07:24

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細部と全体

 「美」とか「真実」とか、「細部に宿る」ものは重要なようです。だけど細部ばかりにこだわっていると、「木を見て森を見ず」になる恐れもあります。さてさて、どの辺のバランスが最適なんでしょうねえ。

【ただいま読書中】『独裁者たちの最期の日々(下)』ディアンヌ・デュクレ、エマニュエル・エシェント 編、清水珠代 訳、 原書房、2017年、2000円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/456205378X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=456205378X&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=77dcf2a69f3312327b8f9312420b3d93
 ユーゴスラヴィアのティトーは、最期の4箇月を、足の切断をされてまで「生きることを強いられ」て過ごしました。周囲の人間がティトーに死ぬことを許さなかったのです。彼はスターリン以上にスターリン的な強権を振るって、冷戦の“隙間"に上手くユーゴスラヴィアを位置させました。そのため、国際外交では米ソのどちらにも属さない非同盟主義の国々のリーダーとして振る舞い、国内では6つの共和国と2つの自治州をがっちりまとめることができていました。ただ、そこで相当な「無理」があったことは、ティトーの死後ユーゴに何が起きたのかを見るとわかる気がします。ただ、独裁者が死んでも大混乱が起きない国もあるわけで、それは何が違うんでしょうねえ。
 ブレジネフの時代、ソ連では、汚職・横領・密売によって不正蓄財をする政府高官が多くいました。しかしKGB議長アンドロポフからその報告を受けたブレジネフは何もしませんでした。彼も同じ行為をしていたからです。そして、アンドロポフを閑職に追いやる決定をする直前、ブレジネフは急死します。著者はアンドロポフによる暗殺を強く示唆しますが、さて、真相はどうなのでしょう?
 チャウシェスクの最期は、報道で知って、ちょっとしたショックを私は感じました。それまで革命とか暴力的な政権交代は「歴史」の範疇の出来ごとだったのですが「ニュース」で知ったことが私個人にはショックだったのです。自分が「歴史」の中にも生きていることを、この時私は初めて自覚したのかもしれません。
 本書にはヘーゲルの「国民は記憶をもたない」という言葉が引用されていますが、独裁者が何をやったのか、は、記憶が薄れたとしても記録には残しておいた方が良いと私は考えます。


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