mixiユーザー(id:235184)

2018年10月14日07:51

144 view

寄り添うと言うだけ

 「沖縄に寄り添う」というのはもう「ただの決まり文句(単なる文字列)」になっています。
 日本語使いの私にとって「(肉体的ではなくて精神的に)寄り添う」は「相手への理解」「共感」「対応」がセットになったものです。だけどある種の人にとってはそうではなくて「口で『寄り添う』と言うだけ」つまり「理解」「共感」「対応」を欠いた行為のことを意味しているようです。
 前知事は就任の挨拶に行っても4箇月も門前払いをされましたが、新知事にはすぐに「応対」をしてくれただけ、政府も進歩した、とは言えるのでしょうけれどね、でも「応対」であって「対応」じゃないんだよな。

【ただいま読書中】『ふしぎな県境 ──歩ける、またげる、愉しめる』西村まさゆき 著、 中央公論新社(中公新書2487)、2018年、1000円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4121024877/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4121024877&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=b775f2bee47bbf86d801953d72efa2bc
 世間にはいろんな「マニア」がいますが、「県境マニア」というものも実在するそうです。ただその主張(不思議に見える県境にも、地理や過去の歴史が反映されている)には私も思わず共鳴してしまいます。ただしその行動(「県境をまたいでの写真撮影に熱中する」など)には、微笑みは誘われますが、真似をしようとは思いません。私には県境マニアの素質はないようです。
 県境は異なる2つ(たまに3つ)の行政区分が接するところです。それが如実に可視化されるのが「道路を横断する県境」の場合で、舗装やペイントなどが明確に異なるのだそうです、というか、たしかに異なっています。私自身、一般道を運転していて山口県に入った瞬間、舗装の質が良くなりガードレールの色が白からみかん色に変わってびっくりしたことがありましたっけ。
 京都府と奈良県の「県境」(本書では都道府県すべてまとめて「県境」と呼んでいます)に建設されたショッピングモールには、床に「県境」のラインが引いてあります。その理由は、警察からの要請(その理由は本書をどうぞ)。
 東京都は東西に長いから横断には時間がかかります。しかし、県境が入り組んでいているところでは「1秒」で「横断」ができる場所がありました。というか、著者はそれを地図で見つけて「1秒横断」を実行しに出かけます。ところが現地で聞いた意外な話は……
 ほかにも「綱引きで毎年移動する県境(というか「国境」)」「山形県と新潟県の県境の尾根にある、人一人がやっと歩ける長さ2000mの山道がなぜか福島県(まるで長い盲腸のような「県境」)」
「飛び地(福岡県の中に「熊本県」が3箇所もある、和歌山県の飛び地「北山村」は丸ごと和歌山から離れて三重県と奈良県の境界にぽつんと存在している)」など、興味深い蘊蓄(と著者の実体験)が次々登場します。
 ある意味「ふざけた本」です。ただ県境を楽しもう、という目論見だけで成り立った本ですから。しかし著者は実に真面目にふざけています。盲腸県境なんか、登山者としては中級以上のスキルが必要、という山道に、わざわざガイドを雇って挑戦しています。とんでもない急斜面をよじ登ってやっと到達できた山道(盲腸県境)は尾根の両側が「落ちたら即死」の断崖。まじめにふざけるのも、本当に大変なようです。両足をそれぞれ別の県に起き胴体は福島県、さて私は3つの県の内、何県にいるのでしょう?なんておふざけはちゃんとしてくれていますが。


0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年10月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031