mixiユーザー(id:235184)

2018年10月05日07:24

103 view

質流れ専門?

 私が子供のころには、家の割と近くに質屋がありました、というか、市内のあちこちに質屋が営業しているのが見えました。最近はあまり見ないなあ、と思っていたのですが、この前リサイクルショップにブツを持っていって査定をしてもらっているときに、「これは一種の質屋じゃないか」と思いつきました。それも「預けたものの受け出し」無しで「質流れ専門」の質屋。スピード優先の現代には、その方がふさわしい、ということなのかな。

【ただいま読書中】『中世蹴鞠史の研究 ──鞠会を中心に』稲垣弘明 著、 思文閣出版、2008年、5500円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4784213902/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4784213902&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=5cdd9ac5462554ba4e63366e50667682
 「蹴鞠」について、各時代を扱った優れた先行研究が多々あるが“隙間"として「室町期以降の蹴鞠会の歴史」が手薄なため、それをメインテーマとして研究してみました、という本です。
 私は「蹴鞠って、何?」のど素人ですが、こんな機会でもなければ一生蹴鞠に接近するチャンスはないでしょうから、この本との出会いを生かすことにしました。
 「晴の鞠会」には、公式の会で、天皇・上皇・将軍などが臨席し、設営・進行などが故実に則っていること、という定義があるそうです。だから、上皇が臨席するけれど「内々の鞠会」というものもあったそうです。鎌倉後期には「晴の鞠会」からは侍が少しずつ排除され、天皇・上皇・摂関家などが見るだけではなくて一緒にプレーする機会も増えていきました。
 蹴鞠というゲームの「目的」は「鞠数をあげること」だそうです。地面に落とさずに何回蹴り続けることができるか、ということですが、『西宮記』には内裏で延喜五年(905)に「二百六度」、天暦七年(953)に「五百二十度」が記録されています。となると、会の中で「下克上(プレーは上手いが身分は下の者と、その逆の者との相克)」があったのではないか、と私は思ってしまいます。
 天皇または上皇ではじめてプレーしたことが記録されているのは後白河天皇です。「御簾の向こうの存在」が一緒に鞠を蹴るのは、貴族たちにとってはどんな心理的効果をもたらしたんでしょうねえ。後鳥羽院は「実力重視」で「貴賤を論ぜず」の態度でチーム編成をしました。ただし待機場所では「上足(上手な人のチーム)」では各人が座る畳にしっかり身分差が設けられていましたが。
 天皇や上皇の参加が続くと、その足に沓と韈(しとうず=足袋の先祖)を履かせる「仕事」が「鞠の家の名誉ある役目」になっていきます。公家がどんな韈を履けるかは、天皇や上皇が「権威の象徴」として決定することになりました。新しい「故実」の誕生です。また、進行の次第などもどんどん精緻化されていきました。
 鎌倉時代には、公家たちは「政治」に関与できなくなっていました。そこで「宮中での政治」に没頭した、というところでしょうか? そう考えたら、武家が鞠の会から遠ざけられたのもわかります。
 永徳元年(1381)後円融天皇による室町第御幸で「晴の蹴鞠会」がおこなわれました。この永徳行幸がきっかけとなって足利義満は公家社会に深く入り込むことになりました(会の数箇月後に内大臣に任じられます)。応永二年(1395)禁裏晴の蹴鞠始では(天皇は後小松天皇)、足利義満(当時太政大臣)が参会しています。「鞠」を家芸として伝えていたのは、御子左家(二条家)と飛鳥井家ですが、義満の時代に御子左家は不幸に次々見舞われ、逆に飛鳥井家は義満の寵を得てぶいぶい言わせるようになります。逆に言えば、義満が公家社会の中ですでに一定の地位を得ていた、ということでしょう。
 古文書から再現される蹴鞠の会の進行は、儀式のようなあるいは演劇のような、それも参加者全員が、プレーヤーでありかつ観客である、といった感じです。儀式にしても演劇にしても「定められた手順」をきちんと踏むことが重要ですが、思うようにならないのが「鞠がどこに飛ぶか」「蹴る回数が何回続くか」。この不確定要素が儀式の中心なのですから、皆さん、とってもスリルを感じていたことでしょう。だから蹴鞠の会が人気があったのかな?
 戦国期に入ると、韈は沓と合体して「鴨沓」となり、宗匠家(飛鳥井家)から武家に「朝廷の権威の象徴」として渡されるものになります。禁裏や室町殿での「正式な鞠会」はあまり開かれなくなりますが、そのかわりのように公家や武家の屋敷での私的な会が、宴会なども兼ねて開かれるようになります。公家の生活が窮乏し正規の装束などが調わない状況に合わせて、飛鳥井家は「略式でもOK」と「新しい様式」を取り入れていきます。
 「日本の伝統」と言いますが、蹴鞠に関しても、平安・鎌倉・室町・戦国と「かくあるべしのスタンダード」は変わっています。では「伝統の蹴鞠」と言う場合、どこの時代の蹴鞠を「スタンダード」としたら良いんでしょうねえ。近代の「蹴鞠」は「保存会の蹴鞠」なんだそうですが、その「伝統」はどの時代のものなんでしょう?


1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年10月>
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031