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2018年10月01日07:19

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一年一会

 年に1回だけ会える、は七夕の伝説ですが、たとえば「桜の花」とか「松茸」も一年の中で「その時期」にしか「出会え」ないものですね。さて、今年は松茸に私は出会えるでしょうか?

【ただいま読書中】『北京原人追跡』中薗英助 著、 新潮社、2002年、1500円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4103396032/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4103396032&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=0fe5c8e30ff76c5209237bf03ff2898d
 1929年12月2日、北京〜南西50kmの周口店遺跡から「北京原人」の頭蓋骨が発掘されました。ロックフェラー財団が創設した北京協和医科大学(通称「ロックフェラー病院」)B楼の解剖学科研究室の金庫に化石は大切に保管されましたが、そこに戦火が及びます。1941年12月8日早朝、日本陸軍は医科大学と付属医院をすべて接収、金庫を開けた松橋軍医は「北京原人」が消え失せていることを発見して驚愕します。
 そのころ著者は、邦字新聞の記者として、ロックフェラー病院の前にある喫茶店「田園」に入り浸っていました。つまり著者は知らずに、北京原人消失の謎に関わる人たちのすぐそばにいたわけです。
 この「北京原人消失の謎」は、さまざまな作品を生み出しています。そして本書で著者は新しい「探偵」となってこの謎に肉薄する、わけではありません。「北京原人の謎を扱った作品」を次々取り上げることで、当時北京で著者が感じていた雰囲気がどのようなものだったかを私に伝えようとします。
 それにしても、実に様々な人がさまざまな「謎解き」をおこなっています。逆に言えば決定打がない、ということにもなります。また、そこには様々なものが投影されます。たとえば「北京人」に中国人としてのアイデンティティーを背負わせる人もいます。中国人にとっては「過去の栄光」や「目の前の挫折(日本軍による占領)」が「紛失した頭蓋骨」の象徴にもなるのです。
 日本側の記録では、歯切れが悪いものが次々登場します。「決して文化財を強奪しようとしたのではない」という言い訳をしたいのか、「まんまと一杯食った」悔しさを噛みしめているのか、「金庫を開けてみたら、なかった」とだけ言いたいようです。でもそれだと、まるで自分たちが被害者みたい。
 大学から最初に箱が運び込まれたアメリカ海兵隊の兵舎(米国大使館に隣接)で何が起きたのか、これはまったくの謎です。日米開戦でてんやわんやの中、「古い頭蓋骨」に構っている余裕のあるアメリカ人は、いなかったのではないでしょうか。
 結局「謎」は解かれません。というか、本書は「謎解き」ではありません。「謎解きを試みたさまざまな本」を並べ、「あの時代」がどのくらい複雑なものだったかを示しています。あまりに複雑なものだから、あちこちに「落とし穴」が生じていて、北京原人の骨はそのどこかに落っこちてしまったのかもしれません。
 当時著者は新聞記者でした。この職業はいわば「プロの傍観者」です。しかしその周囲で、著者が気づかないうちに「現実」はひっそりと動き続けていました。それについて著者は明確な感想を述べませんが、実は悔しい思いをしていたのではないかな?
 そういえば中国式の漢方薬には「竜骨」という「「生薬」がありますが、これの正体は脊椎動物の化石です(「表面にたくさんの傷がついた格安の竜骨」の「傷」が実は「文字」であることがわかって、それで「殷」についての研究が進んだ、なんてお話も中国にはあります。殷では占いをするときに鹿などの骨に「お供えは何をすれば良いでしょう?」などと質問を刻んで火に炙って生じる割れ目で未来を占っていたのです)。まさか北京原人の骨も、誰かがすり潰して飲んでしまった、なんてことはないでしょうね? 北京原人は人肉食をしていたようですが、その骨を現代人が食っちまったら、それは一体、何でしょう?


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