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2018年08月31日08:09

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薄めれば安全

「福島第一原発 トリチウム水の放出に反対意見多数 公聴会」(NHK)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180830/k10011599901000.html

 トリチウムは日本語では三重水素で、水素の放射性同位体です。化学的には「水素」と同じ性質なので酸素と結合したら「水」になります。だから「汚染水」から「トリチウムだけ」を除去するのは、今の科学技術では困難。だから「薄めて海洋投棄」となるわけです。
 で、福島での公聴会では
》「せっかく試験操業の実績を積み上げてきたのに、トリチウムの放出により、なし崩しにされることにおそれを感じている。さらに風評被害が上乗せされる」
》「われわれは風評の払しょくには想像を絶する精神的、物理的な労苦を伴うことを経験している。海洋放出は試験操業で地道に積み上げてきた福島県の水産物の安心感をないがしろにし、漁業に致命的な打撃を与える」

 と「反対意見」が続出したそうです。ここで私の目を引くのが「トリチウムが危険だから反対」ではなくて「風評被害がひどくなるから反対」が「反対の理由」であることです。
 ということは、国の有識者会議とやらは「福島」ではなくて「日本中の消費者」を相手に「風評対策の作戦」を展開しないといけないのでは? 「大丈夫ですよ」ときちんと全国を説明して回るの。でないと、また福島の人たち・産業が大打撃を受けることになります。説得しやすそうな所(福島)や自分が行きやすい所(東京)だけではなくて、自分が行きたくないところを行脚して回らないと、世界は良くならないように私には感じられます。

 ところで、トリチウムって生物濃縮は本当に起きないんでしょうね? でるのがベータ線だから低濃度のものが「外」にあるのなら気にしませんが、体内には取り入れたくないのでそこの所ははっきり安心感を得たい。

【ただいま読書中】『聞け! 風が』アン・モロー・リンドバーグ 著、 中村妙子 訳、 みすず書房、2004年、2800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4622071088/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4622071088&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=95bbcc47a10869053c4292529e5b9add
 リンドバーグ夫妻が1933年におこなった北大西洋調査飛行の記録です。この飛行の目的は、アメリカとヨーロッパをつなぐ商業航空路の調査でした。その6年前にチャールズ・リンドバーグがはじめて大西洋を横断したときにはその飛行は「冒険」でした。しかし同じ行為がとうとう「商業」になろうとしていたのです。考えられるルートは「北のグリーンランド・ルート」「南のアゾレス・ルート」「中央の大圏コースルート」の三種類。二人はそのすべてを調査飛行しました。本書にはその中から、アゾレスからアフリカに南下して赤道上を南米を目指した飛行について(半年間の飛行のうちの10日分だけが)まとめられています。
 スペインを出発して目指すのはポルト・プライア。フランスの大西洋横断空路の水上飛行機のための基地があるので、そこで燃料補給をしたらあとは12時間飛んで南アメリカへ。簡単な話に見えます。
 簡単ではありませんでした。
 荒波で着水に難航。出迎えの人は英語ができたりできなかったり。しかも基地の係員は高熱にうなされていて立っているだけでもしんどそう。そして基地はすでに閉鎖されてます。夫は気候の急変を心配してうろうろし、著者は社交儀礼をこなさなければなりません。風は吹き続け、時間は止まります。とうとう二人は、ポルト・ブライアからの大西洋横断をあきらめ、一度ダカールに戻ることにします。ところがダカールでは黄熱病が流行して隔離状態、と電報が。炎熱の日射と海水が飛行機の機体を腐食しようとしているように、自分も足止めを食らったこの島で腐食しつつあるのではないか、と著者は恐れを感じます。
 バサーストに一度戻って大西洋横断飛行に再挑戦ですが、13〜16時間の洋上飛行をいかに安全に完了させるか、の議論に二人は没頭します。夜間飛行は避けたい、だけどどんなタイムスケジュールを組んでもどこかに夜間飛行が入ってきます。だったら飛行過程のどこに組み込んだら一番安全? 離水と着水、搭載燃料の量、風の条件、月の満ち欠け、悪天候の可能性、積むべき備品の重さ、不時着陸や不時着水時の非常用品を減らすべきか……考慮するべき要素が複雑に絡み合います。
 朝3時半、ノックの音で夫妻は起こされます。出発の支度を始めるべき時間です。
 面白いのは、著者が(コットンのワンピースではなくて)飛行服を着たときに安堵感を感じることです。「旅に出たい」「飛びたい」の焦燥感ではなくて「さあ、出発だ」という高揚感がこちらにも伝わります。しかし、風と水面の状態と機体の重さが上手く揃わず、離水は失敗。「なら、真夜中に発とう」とリンドバーグ大佐は決断します。しかしそれも失敗。「ならもっと重量を減らそう」。そして「風」が変わります。
 飛行中著者は主に無線(モールス信号やアマチュア無線)を担当していますが、夫が天測をするときなどは操縦を代わります。ユーティリティープレイヤーですね。しかし、座席の下に開けられた穴から銅線を垂らしたものが「無線のアンテナ」だというのには私は驚きました。錆びて腐食することを防ぐために普段は格納しておく、ということなのかな? しかし着水の時には大急ぎで巻き上げる必要があるのですから、無線担当も大変です。離水してから15時間55分後、機はナタールに無事到着します。
 『翼よ、北に』でも感じましたが、著者の文章には「飛ぶこと」がたっぷり込められています。サン=テグジュペリが「彼女は飛行機について書いているのではなく、飛行機を通して書いているのだ」「十分なる高みにおいて書いているのである」と述べたわけも、本書を読めばわかります。
 なお本書の左下に「パラパラ漫画」があります。いや、「飛行のロマン」がここだけでも味わえます。実はこの漫画の内容も本書の内容と軽くリンクしています。余談ですが、本書がデジタル化されたとして、このパラパラ漫画はどう再現するんでしょうねえ。


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