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2018年08月09日14:10

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長い長い前売り券

 1970年の大阪万博では、1940年に予定されて中止となった「日本万博」の前売り券が使用できたそうです。大切に取っていた人はどのくらいいたのでしょうねえ。というか、大切に取っていた人、使ったんだろうか?

【ただいま読書中】『1970年大阪万博の時代を歩く ──戦災からの復興、高度経済成長、そして万博へ』橋爪紳也 著、 洋泉社、2018年、950円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/480031478X/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=480031478X&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=7dfd1e5ac927a744e8a49b2198fdb37a
 1903(明治三十六)年、435万人を集めた明治時代では最大のイベント「第五回内国勧業博覧会」が今宮村・天王寺村で開催されました。以後も天王寺公園やその近くで、大きな博覧会がくり返し開催されます。大阪は第二次世界大戦で五十回の空襲を受けて焼け野原になりましたが、そこからの復興のために昭和23年に「復興大博覧会」が開催されました。当日券は大人80円(現在なら3600円)でしたが、豪華福引き付き(一戸建て住宅、嫁入り道具一式など)で、目玉商品は白黒テレビだったそうです。また敷地の建物群は博覧会終了後にはそのまま「町」になることが想定されて建設されていました。昭和25年のジェーン台風で大阪市は市域の30%が水没する被害を受けました。中島地区では2メートルの水が1箇月引かなかったそうです。しかし、戦後復興から高度成長期へ、大阪は賑わいを取り戻していきます。千里ニュータウンが開発され、東海道新幹線開通によって新大阪駅が開業します。
 1940年に、東京オリンピックと同時開催で「紀元2600年記念日本万国博覧会」が構想されましたが、戦争によって無期延期(中止)となりました。しかし1964年に東京オリンピックが開催され、「こんどこそ万博も」という運動が起きます。東京、千葉、滋賀などと並んで大阪も立候補。そしてついに「大阪万博」が開催されます。
 私が行ったときには、アメリカ館は意外に行列が短くて、すんなり月の石を見ることができました。見た目は普通の石に見えましたが。なおアメリカ館はエアドーム構造で、いわば東京ドームの先駆けのようなものだったのだそうです。当時はそのことに私は気づいていませんでした。レーザー光線やマルチスクリーンなど「科学の最先端」を気軽に見物できたのは嬉しかった思い出です。ただ、日本庭園の通路がアスファルト舗装されていたのには興ざめでしたが。
 小松左京、円谷英二など私にとっては“なじみの名前"も次々登場します。日本の叡智を結集した、と言っても過言ではない催し物だったんですね。
 懐かしいなあ、と言いながら私はページをめくりますが、意外に記憶が怪しいことに寂しい思いもしました。まだ半世紀も経っていないのに……
 いっそ「復刻版大阪万博」をやってくれないでしょうか。「半世紀前の未来」とか名付けてそっくり再現して「レトロな未来」を皆で楽しむの。
 ……バーチャルだったら、可能かな?


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