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2018年08月05日06:53

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出る見る止まる

 通行量が割と少ない道をすいすいと車を走らせていたら、脇道に気になる車を発見。見通しが良い交差点なのですが、私が走っている道は新しく建設されたもので、その「脇道」が本来のこの町での幹線道路だったので、それにずっと慣れている地元の人に新しい道の手前での一時停止をサボる癖のある人が時々いるのです。いつでも急ブレーキを踏めるように注意を払っていると案の定その車はそのままの勢いでずるずると飛び出てきました。私はブレーキ。私の対向車は急ブレーキ。やっとそれで気づいた飛び出し車も思いっきり急ブレーキ。おかげで道の真ん中で三台の車がお見合い状態になってしまいました。
 飛び出してきた車が「出る」「見る」「止まる」だったからこんな状態になってしまったわけです。これが「止まる」「見る」「出る(出ない)」だったら、皆平和に通行ができていたはず。何をするにしても順番を守ることは大切ですねえ。

【ただいま読書中】『私鉄郊外の誕生』片木篤 著、 柏書房、2017年、3400円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4760148884/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4760148884&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=3c8b908bcc9968edacbe3c917faeb1ee
 近代日本の「都市郊外」は私鉄で作られた、と言えば、大都市圏の人はおおむね頷くことでしょう。本書では全部で20の代表的な私鉄とそれによって形成された「郊外」についてまとめられています。
 まずは東京急行電鉄の「田園都市」。もともとこの言葉をイギリスのエベネザー・ハワードが言ったときには「工業・都市部/農業・田園部」が一組になった自給自足・職住近接の都市、という意味でしたが、これが日本では「大都市付属の住宅地(田園の都市)」と解釈されてしまいました。そして土地の買収と分譲をおこなった「田園都市(株)」を関東大震災や昭和大恐慌が襲います。また、大学令の改正で広大なキャンパスを必要とするようになった大学はこぞって郊外に進出しました。その風潮に乗ったのが五島慶太で、大学と住宅地を組み合わせてイメージアップをして土地の販売をしました。その代表が、慶應義塾大学を誘致して形成された日吉台分譲地です。
 小田急電鉄沿線の成城学園と玉川学園は、「鉄道会社が誘致した」のではなくて、学園が自校建設のために住宅地を開発したものです。学園自らの「ブランドイメージ」によって住宅地を開発し、その土地売買の差額によって自分の学校を広大な土地に建設してしまおうという、ちゃっかりしているというか、非常に合理的な、というか、計算ずくの行動で学園都市を造ってしまいました。
 いろんな人といろんな私鉄の会社が「田園都市」「林間都市」「学園都市」などの理想を掲げて計画に着手しています。しかし、会議を繰り返せば理想は変質し、さらに予算と土地と人などの制約から計画は換骨奪胎され、出来上がったものは最初の理想とはほど遠いものとなり、さらに人の出入りや経済の動向であちこちが改造されていき、最終的には「理想はどこ?」と言いたくなるものに変貌するのがどこでも常のようです。最初からずっと同じ形で固定化された都市は、それは「生きている」とは言えませんから、変わっていくのは仕方ないことなのでしょうが。
 海水浴の普及(海水浴場の普及)にも日本では私鉄が大きな役割を果たしたことは海水浴の歴史の本に書いてありましたが、もちろん本書にもその話が登場します。「移動する人を運送する」のではなくて「人を移動させる」ためにいろいろ考えるのも鉄道会社の仕事ということです。すると「職住接近」とか「在宅勤務」は鉄道の敵ということに? 意外なところにインターネットを敵視する存在がありました。


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