mixiユーザー(id:64140848)

2018年08月02日09:17

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哲学するには謙虚さが必要

哲学を勉強しようというような人は、プロであれアマチュアであれ、たいてい「自分が一番頭が良い」と思っているのではなかろうか? 違っていたら誠に失礼な話だが、私自身がそんな人間であるから、他の人もそうではないかと邪推しているのである。

しかし、哲学のレベルが上がるにつれ、ある種の謙虚さを身に付けていくという傾向があるような気がする。中島義道先生などは結構威張っていて傲慢に見えたりもするけれど、こと哲学に対してはとても真摯で謙虚な姿勢で臨んでいるように見受けられる。全般にアカデミックな場にいる研究者の方がアマチュアより学問的には謙虚だということははっきりしている。それだけ学問的なせめぎあいでもまれているからだろう。

アマチュアの方が傲慢な印象を受けるのは、あまりもまれてもいないし、発想の転換を迫られるような事態にも遭遇しなかったからだろう。特に、負けず嫌いの人はどうしても独善に陥りやすい。

「日本の哲学者なんて、哲学者ではない。みんな哲学史学者か哲学学者だ。」というようなことをこともなげに言ってみたりする。もしかしたらそれは当たっているのかもしれないけれど、それ以前に、自分自身に本物の哲学を見抜く目が果してあるのかどうかを反省せねばならないではと言いたくなる。

mixiに参加してみて驚くのは、哲学の名において単なる思い付きを言う人が多いということだ。ウィトゲンシュタインの言葉のところどころを拾い読みして、勝手な思い込みをあちらこちらのコミュニティにまき散らして平気な顔をしている。特にどうという害はないのでスルーしてもかまわないと言えばかまわないのだけれど、なんかひっかかる。こんな事にこだわる私が狭量すぎるのかもしれないけれど。


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