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2018年07月28日05:38

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田根剛

建築家とは。
誰よりも一番最初に未來を体験できる職業(田根剛)。

217建築レクチャーシリーズ
@グランフロント大阪ナレッジシアター
フォト




大阪を拠点に活動を行う2人の建築家、芦澤竜一氏と平沼孝啓氏が
ゲスト建築家を招いて、 年に7回開催する建築レクチュアシリーズ。

主催がNPO法人アートアンドアーキテクトフェスタで
スタッフは建築を学ぶ大学生・院生です。

それでいて、いやそれなればこそ いつもゲストが豪華。
今回は田根剛(1979-)さんでした。


田根さんといえば、元サッカー選手という異色の経歴、
26歳でエストニア国立博物館のコンペを勝ち抜いた方です。
代表作を辿りながら思想的な背景を話されました。


【自己紹介】

現在パリで主宰されるアトリエの映像が映りました。
当然ながらスタッフの出身はフランス・日本をはじめ
多国籍です。
1200平米って・・・広い。
あちこちに模型が見えます。
デジタル作業でほぼすべて可能な時代ですが
あえて手作業をしようという方針とか。


子供時代。
ほぼサッカーしかしてない。頭の中まで筋肉だったのでは。
時代はちょうど高校生Jリーガーが登場しはじめたころで、
田根さんもジェフユナイテッドのユースチームのボランチとして活躍していました。


なぜ建築に。
もちろんサッカーの経験がいきていることはあります。
チャンスのつかみかたとか、なによりも動きながら考えるところとか。
でも トップクラスの選手は巧い。
頑張って越えられるものと越えられないものがあることが わかるようになり、
一流のプロになるのは難しいと思いました。
社会人リーグとかJ2という道もあったけれどきっぱりやめようと。
東海大浦安高校に行っていたので、普通はそのまま東海大に進学するのだろうけれど
それはイヤだったし、かといって一浪して行きたいほどのところもなし。
そうしたら北海道東海大学芸術工学部っていうのをみつけて。
北海道、いいなあ、と。建築学科にして、図書館で面接対策を調べていてガウディの作品をみました。


大学生のころ。
朝から夕方までみっちり4コマ受けていたら実習も含め2年で終わってしまいました。
学校にこのままいてもなあ、と思っていたらスウェーデンへの交換留学があって
海外の建築の力強さをみました。
大学院はいってないです。
4年で卒業して、デンマークロイヤルアカデミーの研究員を1年やりました。


【基本コンセプト】

ARCHAEOLOGY OF THE FUTURE
考古学の未來をつくっていこう


敷地がきまったら、記憶を掘り返してコンセプトをリサーチします。

◆どのくらいの年代まで遡るのですか?
それはまず古代まで。それから今までが全てつながると面白いものです。
集合の記憶は未來をつくる原動力だと思う。

◆コンペのときは必ず現地へ行くのですか?
必ず行っているわけではありません。
コンペで特に大事なのはアイデアだから。


【MEMORY FIELD】
〜エストニア・ナショナルミュージアム
フォト



幅72m、長さ355m。
旧ソ連占領時代の滑走路を含めると1.5km
冬はマイナス20〜30℃で雪に覆われる土地。
高さ14mの大庇から入り、丘陵にあわせて天井が低くなっていく。
突き抜けた滑走路への出口にには路面に民族の寓話がしるされている。。。


コンペ。
勝ち取ってみて初めて、勝つことがどんなに大切かわかりました。
2位や3位ではだめなんだと。
選ばれた人にしかチャンスはない。そこから人生は変わるんだと。


着工まで。
外人が勝手な事をしている、ともう一度ソ連が攻めてくるかのような イメージがマスコミに拡散されてしまった。いまでいう炎上。
かとおもえば予算があわない、とゼネコンが押しかけてきたり。
美術館サイドからもどんどん提案がされて計画がかえられていったり。
困ったのは、この写真、強面の人達にとりかこまれていますが 滑走路をぶち切って環状道路をつくり、ゴルフ場やマーケットをつくる という投資家たちなんですよねこれ。
審査員のひとたちに頼んで歴史的公園地区として残す事をお願いしました。
まあリーマンショックで投資家の人たちは消えましたが。
2年間国家予算がつかなくなったこともあります。


完成まで。
それでも2013年に着工しました。
毎月通いまして。できていくのをみるのは楽しかった。
この写真ね、50cm角ほどのガラスを4枚ならべてるでしょう、 ファサードのガラスをこの中から選べといわれまして。
こんな小さい見本で数百メートルのものを決めろといわれても。
そうしたらこれもある、ともう一つ出してきて。そんな問題じゃないw。
とにかく明日まで待ってくれ、光の具合でかわるかも、と。
よかったですよ本当に時間によって感じがかわっていました。
結局右上のものにしたんですが、これ、と言った瞬間に全てのストレスが 消えました。
未來のビジョンを言い切る力が大切なんだと思いましたね。

これが完成したところです(ドローンによる映像)。
ホールでは毎月イベントをしているようですね。
レストランは湖の上です。
博物館は時の回廊になっています。
最初に展示されているのはスカイプを発明したひとが
その時に坐っていた椅子。
そこから時代を遡っていきます。
2016年10月1日にオープンしました。
エストニアは今年建国100周年で、そのセレモニーもここでやってくれました。


【古墳スタジアム】
〜東京オリンピック・新国立競技場のコンペ。

(最終の11案までに田根さんの「古墳スタジアム」案は残りました。
しかし勝ったのはザハ・ハディド案。
それが現在までにどのような経過をたどったかは周知のとおりです)


古墳
東京のすごいところは50年〜60年でこれだけの規模の街ができたところだと思う。
そしてそのなかに明治神宮外苑とか皇居とか大きな森がのこっていて。
元々大地を掘りこんでつくるのが競技場のはじまりで 近代では郊外型が多い。
でも東京では街の中心部につくるというのだから
そこに中国文明が入る前に日本にあった古代文明の記憶(古墳) をつくるというのはどうだろうかと。
審査委員長が安藤忠雄さんだったから、いけるかな、という思いもあって。
(古墳スタジアムの構造の説明がありました。 登れること、雨水の活用、エネルギーの活用、
森をつくる樹を全国に求める ことなど)


資格
オープンコンペだったんですが。
実際にふたをあけてみたら、プリツカー賞をとっているとか いくつかの応募条件があって、ゴールドメダリストしか応募できない ようになっていました。
それでも15000人規模のスタジアムを作った事がある、という 条件もあったので、
フランスのモンペリエの事務所を探し出して エントリーしてほしいとお願いしました。
幸いすきにやっていいよ、といってくれて。
最初はデザインのコンペだったのですが
最終11組にのこってからはゼネコンとの連携も求められて。
ゼネコンといったって5つくらいしかないけど どこも相手にしてくれなかったですねえ。
(コンペにはいろいろ大人の事情があった模様。
さらにA案がなくなってBさんCさんが設計され、Bさんがこれで もうやめるとおっしゃっていたのにCさんに決まって怒られ またひとつ作品をつくると言われているとか・・・)


【TODOROKI HOUSE IN VALLEY】

東京の等々力というところに作った個人住宅です。
風がふきわたる渓谷があり、水辺の湿気もある。
そこで「DRY & WET」「砂漠と水辺の家」 を1つにしようというコンセプトをたてました。
砂漠の家の写真と水上生活の家の写真をこんなふうに ハサミで切って貼って(コラージュのように)組み合わせました。
この作業は楽しかったですね。 模型も作って。
実際には法規が4つくらい重なっていて・・・ 近隣との関わりもあるし・・・堅苦しくなっていきましたが。
それでも HOUSE WITH FOREST という空中に浮く小さな集落のような 高床式の家になりました。
足下はシンプルなガラスの温室のようになっています。
1mほど地面を掘りこんで、その土で壁を作りました。
1.5m下がエントランス、3階の子供部屋からは花火も見えます。


◆アイデアの抽出方法
スケッチはあまりかきません。模型をいじったり。

◆他分野からの影響
(そうそう、田根さんといえば舞台もありました)

◆他の建築家と違うところ
自己分析はあまりしないんですが。
それでも20歳で海外にでて北欧から英国という経験はあまりないかなと。

◆コンセプトが明確であいまいさがない
スタッフも外人なので。自分の中で閉じないようにしています。
グローバルにみても力強さがないといけないから。


【LIGHT IS TIME】
〜シチズン ミラノサローネのためのインスタレーション

時間とは何かを調べて研究しました。
人類が時間を意識したのは月のみちかけのような天体でしょうか。
メソポタミアの日時計では長さをはかるもの
エジプトのカレンダーではカウントするもの
いまでは宇宙は膨張するといわれていますがそれなら時間も膨脹するのか。
いつの日か1日は25時間になるのか。
時をはかる単位に光がある

TIME IS LIGHT   
LIGHT IS TIME

時計の基盤を8万個天井から吊るインスタレーションを行いました。
フォト


(2014スパイラルホールで開催された凱旋展をみていないんですよね。
これ今年の展覧会で再現されないでしょうか)

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レクチャー終了後の質疑応答

問い。
新国立競技場の古墳スタジアム案では雨水の利用も考えられていた。
答え。
いまや建築は構造だけでは成り立たないですから。 環境が大事な要素ですのでエネルギーをとりこむことも考えます。

問い。
建築は記憶を呼び戻すツールなのでしょうか。
負の遺産を使うときに気をつけられている事は。
答え。
記憶は有形無形を問わず継承する事が大切です。
いま近代建築がどんどん壊されている。
建築には伝える力もあると思う。
それから負の遺産というけれどそれは人による見方の違い。
それよりも現地のひとにとってどうか、それを伝えること。
建築を通してポジティブな力にかえることが大切だと思う。

問い。
都市としての東京のこれからについて考えることは
答え。
コンセプチュアルなリサーチプラス環境条件が必要だと思う。
こんな暮らしができたらいいなという家をたてる。
未來の原点をつくることができたらいいなと思います。

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何度も繰り返されていた「力強さ」という言葉が印象的でした。
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コメント

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