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2018年07月22日06:34

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ジン

 私がまだ若くて酒を飲んでいた頃、一時ジントニックにはまっていたことがあります。理由は簡単で、安くて美味いから。さらに、ジンとトニックはそれぞれ単独ではそれほど美味いと感じないのに、混ぜると美味くなる、という不思議さもありましたっけ。今は若くなくて酒も飲まないから、記憶の中で美化された美味さなのかもしれませんが。

【ただいま読書中】『ジンの歴史』レスリー・ジェイコブ・ソルモンソン 著、 井上廣美 訳、 原書房、2018年、2200円(税別)
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 18世紀のロンドンは「ジン・クレイズ(狂気のジン時代)」と呼ばれるほどジンが人気でした。
 ジュニパー(ヒノキ科の西洋ネズ)は古来薬効あらたかと信じられていました。アリストテレスも大プリニウスも健康に役立つと断言し、古代エジプトでは頭痛の治療に使っていました。蒸留されたアルコール自体が「アクア・ヴィタエ(生命の水)」と呼ばれましたが、そこに薬効があるジュニパーを加味した「強壮剤」が作られるようになりました。さらに、黒死病が襲来するとジュニパーは黒死病の特効薬としての地位を獲得します。ペストは有毒な空気を吸うことで感染する、と当時は信じられていて、それをジュニパーの芳香が妨害する、とされたのです。黒死病対策として、鳥のくちばしのような尖ったマスクをつけた人の絵がありますが、そのマスクの中にジュニパーが詰め込まれています。
 ネーデルラントでもジュニパーは人気の薬物でした。酒で人気があったのが「焼いたワイン」(ワインを蒸留したもの、つまりブランデー)。それにジュニパーを組み合わせた「ジュニパー・ベリー水」の記録は1552年に登場します。1582年には「コーン・ブランデーワイン」の記録が登場。ネーデルラントで入手困難なブドウよりも簡単に手に入る穀類の蒸留酒が人気となっていきます。「オランダ」が成立し、東インド会社によって貿易ルートを確立。その時壊血病予防のために「ジュネヴァ(コーンブランデーをジュニパーなどと再蒸留して風味をつけたもの)」が人気となりました。「ジュネヴァ」はイギリスでは「ダッチ・ジン」と呼ばれますが、ジンよりきつくウィスキーのような風味の酒だったそうです。オランダ東インド会社の活動を通してジュネヴァは世界に広まっていきます。
 17世紀の30年戦争、オランダやベルギーでジュネヴァの味を覚えて帰国したイングランド軍兵士は、帰国後もその味を求めますが、その(粗悪な)代替品として「ジン」が生まれました。ジンは瞬く間に、貧困層を中心に広まります。1684年から1710年の間に、絶対的な人気だったビールの生産量が12%、ストロングビールが22.5%減少し、ジン生産量は400%増加したのです。「ジン・クレイズ」の到来です。貧困層は安くて手に入れやすくてきつい酒に慰めを見いだします。国王は税収の方をみていました。両者の“利害"は一致していました。問題はアルコール中毒の蔓延だけ。ロンドンの住民の4人に1人は、急性か慢性かのアル中状態となってしまいます。
 この時代の「ジン」は、低品質の穀類を使って蒸留を繰り返して高濃度(アルコール度数95%以上)の「ニュートラル・スピリッツ」をまず作り、そこに、テレピン油・硫酸・ミョウバン・砂糖・石灰・ローズウォーターなどを混ぜ込んだ91度のとんでもなく強い酒でした。それをジン愛好家はビールジョッキで飲んでいたのです。事態を重く見たイギリス政府は、18世紀前半に「ジン取締法」を次々成立させます。「ジンに限定した禁酒法」です。もちろんその結果は「密造ジンの横行」でした。密告者への報酬を増額する法律を出すと、密告者への襲撃が増え、それに対して「密告者への襲撃は違法である」という法律が1738年に施行されます。笑っちゃうしかないですね。そして1751年のジン取締法でジンのブームは息の根を止められますが、人々の嗜好は、ラム酒とポーター(黒ビール)に移っていました。
 マレーシアで作られた「ジン・アンド・ビターズ」はビターズによってピンク〜茶色になっていて「ピンク・ジン」と呼ばれました。これがイングランドに輸入されると、サマセット・モームやグレアム・グリーンのお気に入りとなりました。海軍では壊血病予防に柑橘類が配給されましたが、果汁だけでは喉を通りにくいため、酒と果汁をブレンドすることが流行しました。ここから「ギムレット(ジュニパー風味の正統ジンと加糖したライムジュースだけで作るカクテル)」が生まれます。(ただし、最近ではジンではなくてウォッカベースのギムレットの方が人気があるそうです。(そういえば、映画でのジェームズ・ボンド(007)は「ウォッカベースのドライマティーニ」がお好みでしたね。ジンとウォッカって“ライバル"なのかな)
 「ジン・クレイズ」が終わり、産業革命がやってきます。消費者の嗜好は変化し、新しい蒸留法(連続式蒸留器)が始まり、「ジン」は変化しました。「(生活苦からの逃避のために)手早く酔っ払うため」ではなくて「楽しむための酒」を目指して。そのため、雑味を誤魔化すために加えられていた砂糖は、こんどは消費者が好むから加えられるようになりました。甘みを加えないジンは「ドライ・ジン」と呼ばれます。
 アメリカの植民地は、イングランドよりもオランダ・ジンの方を好んで輸入していました。その嗜好が後にアメリカ独自の風味のウィスキーを生んだのかもしれません。また、アメリカではカクテルが人気で、そこでもジンが大活躍することになります。東欧からの移民はウォッカも持ち込み、1930年代にはアメリカでもウォッカが製造されるようになります。すると「マティーニはジンで作るもの」だったのが「ウォッカベースのマティーニ」も流行するようになりました(これが映画のジェームズ・ボンドに採用されたわけです)。
 1990年代のアメリカに「洗練されたジン」が登場します。新しい試みをするバーテンダーも次々登場。ジンに使われるボタニカル(風味づけの材料)はジュニパー以外に200種類以上あるそうですが、その扱い方(浸す、蒸す、蒸留する、などの方法)も進歩します。かくしてジンは、あまり大きく取り上げられてはいないけれど、酒の世界では“無冠の帝王"のようなものになっているようです。
 「ジンの歴史」を見るだけで、為政者と庶民の関係や「人の酒の飲み方」の変遷などが見えてきました。歴史はやっぱり面白い。


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