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2018年07月14日23:12

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イサム・ノグチ

本当は1週間前に上京を予定していたのですが
悪天候でかなわず、1週間ずれたら
まあ新しい展覧会が山ほど始まっていまして。
おもわずこちらにいってしまいました。

イサム・ノグチ
〜彫刻から身体・庭へ〜
@オペラシティ・アートギャラリー
フォト



日本人の父、アメリカ人の母をもつ彫刻家(1904-1988)です。
世界のあちこちで活躍し、さまざまなジャンルに作品を残しました。
没後30年にあたりその全容をたどる展覧会です。

展示構成順に概要を記録しておきます。

【第一章 身体との対話】

1930年、肖像彫刻家として生活していたイサム・ノグチは、
ブランクーシに 純粋抽象彫刻を学んだにもかかわらず、彫刻家としての方向性に悩んでいました。
そこで自分のもうひとつのルーツである日本に旅だちます。

この章で紹介されるのは
・途中7か月ほど滞在した北京で斉白石に習った毛筆画
・出発前に友人におくったブロンズ《喜びの日》
・20代なかばで手掛けた舞踊家マーサ・グラハムの舞台装置 など。

なかでも毛筆画《北京ドローイング》が素晴らしい!
細い筆、極太の筆を使い分けて一気に描いたと思われる大作が7点ほど出ています。
いずれも人物画で、そのいきいきとしていること。

【第二章日本との再会】

1950年5月、彼は19年ぶりに来日し、
女優の山口淑子と結婚します。
鎌倉に住み、作陶に没頭しました。
この章で紹介されるのは

・陶版作品
・慶応大学第二研究室の談話室で手掛けた建築・家具・庭園などすべて
・和紙を用いた照明器具のデザイン
(《2mのあかり》のみ写真撮影可)
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【空間の彫刻〜庭へ】

イサム・ノグチの庭への関心は、幼いころ母に
連れられて来日したとき 、詩文執筆をする父とともに
散策した円覚寺などの自社の庭の記憶 、
建築家バック・ミンスター・フラーに
「プレイグラウンドは人と彫刻をつなぐ環境芸術である」という 教えを受けたこと 
などがもとになっているといわれます。

ここでは
・国連のためのプレイグラウンド模型
・チェースマンハッタン銀行のプラザのための枕床園 ・スライド
・マントラの模型 (42回ヴェネチアビエンナーレ出品作品)
などが見られます。

また、横浜美術館所蔵の 《死すべき運命》
《チャイニーズ・スリーヴ》が来ていました。

【第四章 自然との交感〜石の彫刻】

若いころブランクーシの助手として「物質との直接のコンタクト」や
「素材に対する真実」を習得したイサムノグチは
香川県の牟礼で玄武岩や花崗岩に挑みました。

ここでみられる作品7 《不死鳥》《クメール》《ブランクーシへのオマージュ》
《空間のうねり》《アーケイック》《ミラージュ》。 そして横浜美術館の《下方へ引く力》も。
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かようにさまざまなジャンルの作品が来ていますので
章建てされているといっても盛りだくさんすぎていささか 消化不良気味です。
また、展示の仕方についても 初日のせいか
「この作品はもっと真ん中に置いて後ろを見てもらわないと」
などと話し合われていたりして変更があるかも?
幸い会期が長いので、しかるべき本を読んでから
再訪してもいいかな、と考えています。

9月24日まで。
https://www.operacity.jp/ag/exh211/

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常設展示は うつろうかたち〜寺田コレクションの抽象〜  難波田龍起を中心とする56点

新人紹介コーナーでは 木村彩子〜草々のなかへ

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