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2018年07月12日06:11

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平成

 バブルで始まり、アベノミクスで終わった時代の一区分。

【ただいま読書中】『最強の女』鹿島茂 著、 祥伝社、2017年、1900円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4396616198/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4396616198&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=89cecee14de301ec3af7e5c8ceaf963c
 「男性至上主義社会」で「最強の女」は、「価値の高い男(それも複数)をつかまえた女」と著者は定義します。つまり「つきあった男の価値を総計した数字で『最強』が定まる」と。これはフェミニズムの観点からはとんでもない主張でしょうが。
 まず登場するのは、「ルイーズ・ド・ヴィルモラン」で“男"は、サン=テグジュペリ、アンドレ・マルロー、ジャン・コクトーと錚々たるメンバー。彼女自身も「書く人」ですが、「男」と「書くこと」の動機として著者は「巨大すぎる自己愛」を想定しています。しかし、フランス文壇の巨人3人だけではなくて、他にも愛人が次から次へと登場するのを見ると、フランスの社交界は“別世界"なんだな、と感じられます。
 「リー・ミラー」は、ヴォーグのモデルとして経歴を始めましたが、撮られる側ではなくて撮る側になりたくて、有名な写真家マン・レイの助手として頭角を現し写真家として成功。エジプトの富豪と結婚して砂漠の写真でまた有名になり、第二次世界大戦では従軍カメラマン(カメラウーマン?)。ユダヤ人の強制収容所の写真がよく知られています。そして年下の写真家ローランド・ペンローズと結婚してイギリスの田舎に引きこもったらこんどは料理研究家として名前が知られるようになる……なんとも華々しい人生です。
 「ルー・アンドレアス=ザロメ(ルー・ザロメ)」はニーチェとフロイトの心を捉えたことで知られています。ついでにリルケの愛人でもあったのですから、すごい“コレクション"。ただ,彼女がこういった男たちに近づいたのは「誘惑」が目的ではなくて、「自分のことを書きたい(でも書けない)」からではないか、と著者は推測をしています。ルー・ザロメの「ニーチェ論」「フロイト論」「リルケ論」はどれも相手にたいする深い理解を示しているのだそうですが(残念ながら私はどれも未読)、彼女自身は自分に対してきちんと言及ができていないそうです。ただ、彼女がリルケを「夢見る青年」から「素晴らしい詩人」へと鍛え上げていく手法は、下手なコーチングや教育論の本よりもすごいものです。しかし重度のファザコンだと、相手に父性を感じた瞬間セックスができなくなる(近親相姦になってしまうから)というのは、なかなかしんどいですねえ。
 「マリ・ド・エレディア」は「ジェラール・ドゥヴィル」というペンネームで多くの小説を書いた女性ですが、19世紀末のパリで、多くの作家と関係を結んだことで知られるそうです。ただ、ここまでの女性はすべて「表現者」でした。最後の「ガラ」は詩や小説は書かず、写真も撮りません。こう言っては失礼ですが、見た目もそれまでの4人に比べたら落ちる印象です。だけどガラは、ポール・エリュアール、マックス・エルンスト、サルバトール・ダリという「シュールレアリスムの三巨頭」をすべて手に入れてしまいました(うち2人とは正式に結婚しています)。著者は、「表現した」ではなくて「表現された」点ではガラを「20世紀最強の女」としています。あたかも美の女神のように崇拝される女性です。
 本書の主題は「最強の女」で「最強」の根拠はその女がコレクションした「男の強さ(価値)の総計」。しかし本書を読むと、それぞれの有名な男たちは、けっこうへんてこりんです。「男の価値」って、こんな変なものだったの?と私はちょいと首を傾げています。男女の関係を「強さ」で規定するのは、どこか無理があるのかもしれません。それは「男>女」の社会であっても「女>男」であっても似てくるんじゃないかな。


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