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2018年07月08日22:11

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プラドのベラスケス

国立西洋美術館の東京展と合わせると
217日という長い会期。
これは差し障りのない作品しか来ていないのでは・・・ 
と足が向かなかったのですが
折角地元巡回なので講演会を聴きました。


プラド美術館展
〜ベラスケスと絵画の栄光〜
@兵庫県立美術館
フォト


前日に行われた中野京子さんの講演も満員御礼だったようですが

本展監修者だけあって、こちらも興味深く聴かせていただきました。。


「ベラスケス、フェリペ4世とプラド美術館」
川瀬佑介(西美主任研究員)


【本展のみどころ】(講演会レジュメより)

●国内5度目(2002,2006,2011,2015,2018)のプラド展
●ベラスケスの真作が本邦史上最大数の7点出品
●17世紀絵画にフォーカスして61点の油彩を選択
●スペインだけでなく、イタリア、フランドル、
フランス絵画(22点)を交えて構成し
 17世紀マドリード宮廷の国際的なアートシーンを
再現した
 よって、ベラスケス展でもなく、
スペイン絵画展でもない。
●この時代の芸術に関する思想的背景を示す、
17世紀に出版された芸術理論書の初版本など
文書資料を交えて構成

【ベラスケス(1599-1660)】

セビーリャ生まれ。
フェリペ4世の宮廷画家としてマドリードで活躍。
「画家の中の画家」と称されています。


【プラド美術館】


1819年開設。スペイン絵画のみならず、ティツィアーノらヴェネツィア派、
ボス、ルーベンスなどフランドル絵画においても屈指のコレクションを誇ります。
ちなみに正面玄関にベラスケスの銅像があることからも、プラドにおいて
ベラスケスがいかに重要かわかります。
(しかし、たしかゴヤ門のほうから入るのではなかったか…?)

【スペイン王室と芸術】


16世紀にスペインハプスブルク王朝が成立してから
主に3人の王によってコレクションが形成されました。


◆カール5世(在位1516-56)
 神聖ローマ皇帝を兼ねており、領土が広大であった
ことから定住した王宮をもちませんでした。
よって本格的な収集は行わなかったのですが
 ティツィアーノに肖像を描かせていますし、
フランドル絵画に興味があったりと
 コレクションの礎(性格)をきめた人です。

◆フェリペ2世(在位1556-98)
 1500点を収集したメガコレクター。
 敬虔なキリスト教徒でありながらティツィアーノら
の裸体画を収集したり
 ボッシュの怪物画をあつめたりと独特の好み。
 ちなみにマドリードが首都になったのはこの時代(1561)。


●フェリペ4世(在位1621-65)
 3000点を収集したメガコレクター。
現在のプラドには
 7000点の作品が収蔵されているので
半分近くがこの時代。
 国としてはやや斜陽でしたが、美術的には
黄金時代といえます。
 ベラスケスやルーベンスが活躍したのはこのとき。
 ・ブエン・レティーロ離宮
 ・トーレ・デ・ラ・パラーダ狩猟休憩館
 を造営し、その装飾のためにも多くの絵画を
描かせました。
 ただしこれらの建物は全て現在残っていません。
 王宮アルカサルも火事にあって建て直されました。


【プラドのベラスケス】


ベラスケスの現存作品120点のうち48点は
プラドにあります。

そしてそれらは来日した7点からもわかるように

王族の肖像、一般人を描いたもの、
神話や宗教など様々な題材で
それまでの絵画(たとえば エル・グレコ や スルバラン など)が
ほとんど宗教画だったのに対して
テーマが幅広かった事がよくわかります。


では、時系列にしたがって彼の画業をたどりましょう。
(本展には出ていない作品画像は◆)

【セビーリャ時代】(〜1624)


この時代のベラスケスは、宗教画やボデゴンといわれる
風俗画を制作していました。
プロとなったのが1617頃なので約7年間です。
真っ暗ななかにスポットがあたるようなシアトリカルで
ドラマチックなリアリズムが特徴です。


●東方三博士の礼拝(1619)
古くからある宗教的な題材ですが、卑俗な描き方をしています。
マリアは妻、キリストは娘、手前の博士が自分か弟、
その奥の博士が岳父をモデルにしたともいわれています。
1世代前の画家はモデルなど使っていなかったのですが
価値観が変化し、神聖な物語でも絵空事でなく
リアルに描く事が求められるようになり、
駆け出しの画家であったベラスケスが手近にモデルを
求めたのは自然なことと思われます。

以降、ベラスケスの絵画にはモデルの風貌・存在感を
残して描くことが消えずにのこってゆきました。
彼にとってのリアルとは、描き方、プラス、
プレゼンテーションの卑近さです。


◆卵を調理する老女(1618)
スコットランド国立美術館所蔵。ベラスケスのボデゴン。
残念ながらプラドには、宮廷画家となる前の作品はほとんどないのです。


【宮廷画家への登用】

ベラスケスは1624年、宮廷画家となりました。

宮廷画家の役割はふたつ。
1つは王族の肖像を描く事
いま1つは宮殿の装飾です。

ベラスケスにはそれまでそうした仕事の経験は
なかったので試行錯誤している様子がみてとれます。


◆フェリペ4世(1628年)
23歳の若き王の全身像。
足の位置、顔の輪郭、シルエットに描き直しがみられます。
現実そのままを描く事と理想の姿とのバランスを
探っているようです。


●狩猟服姿のフェリペ4世(1632〜34)
狩猟の館トルテパラードのために描かれたとはいえ、
「王様らしくなさ」が際だっています。
たとえばウエストよりやや下にある線。
なんと破れを継いだ縫い目。
財政難の国情をふまえ、豪華さで反感をかわないように
質実剛健ぶりをアピールするねらいです。
「らしくなさ」は服装だけではありません。
この絵からよみとれるフェリペ4世の性格は
自信たっぷりの「俺様」というよりも
「たまたま王になった」気の弱そうな人物です。
ベラスケスは宮廷画家であっても人間観察を失いませんでした。
ただし王である以上はそれらしく描かれるのが注文主の希望でしょう。
この絵のときのフェリペ4世の実年齢は27〜29歳で
あったはずですが
落ち着いているように「盛って」いる。
さらに1653年に描かれた胸像では実年齢48歳の王は
威風堂々としていない。
「疲れたけど帰っていいですか」みたいww
よくこんな絵を許したというか…フェリペ4世もねえ。


●バリューカスの少年(1635〜45)
ベラスケスは描く対象によって描き方をかえています。
矮人を描いた本作ではモデルは足を投げ出し口も半開き。
王族の肖像画ではありえないような、豊かな表情も
みられます。
これは注文主から文句を言われない自由な絵画のときに
ベラスケスが行った新しい試み、実験的絵画でしょう。

同じ矮人を描いても デル・アメンが見下ろす描き方
なのに対し
ベラスケスは下からモデルをあおぐようにして
描いており、
時代を超えたオリジナリティを感じさせます。


【宮殿装飾】(1632〜40)


●王太子バルタサール・カルロス騎馬像(1635)
レティーロ宮の「諸国王の間」の扉の上に王と王妃の
肖像に挟まれてかけられていました。
馬の胴が太く、王子の上半身が長いのは見上げるため。
この絵は背景が非常に明るいのが特徴で、
それはラピスラズリを用いているからです。
(ベラスケスの唯一のラピスラズリ使用例)
王朝の明るい未来を示すとともに、
遠くの山は緑より青くそして色として見える、という
先駆的な表現となっています。


●マルス(1638)
軍神でありながら半裸でほおづえをついている中年男。
国立ローマ美術館の《ルドウィシのアレス》のポーズを
参考にしたと思われますが、描かれたのは筋骨隆々とした青年ではありません。
ルーベンスのマルス(ロンドンナショナルギャラリー)のような
どう猛な力強さもない。
実はマルスはヴィーナスと不倫関係にあり、それを
妬んだアポロンが告げ口し
(《ウルカヌスの鍛冶場》参照)
現場を押さえられてひとり残されたマルスの
困惑を描いたからだといいます。
そういえばマルスが腰を下ろしているのはベッドのようでもあり。
神話の世界を描きながらなんとも人間的な表現です。
【高貴なる絵画の追究】


晩年のベラスケスは、絵画を、職人仕事とは違うリベラルアーツの一つとして
位置づけようとしていました。


●ファン・マルティネス・モンタニェースの肖像(1635)
彫刻家が塑像をつくっている場面ですが、現実には
ありえないような立派な服装です。
貴族的な芸術実践者として描かれており、ヘラを持ってはいますが、手は動かさず「思索している」。
つまり芸術にとって大切なのは頭の中の知的作業だ
ということを示しています。


◆ラスメニーナス(1656)
プラド門外不出の至宝です。
・画家自身(手をとめて考えている)
・描かれるひと(画面奥で鏡に映った国王夫妻)
・絵を見るひと(王女マルガリータを含む道化や犬、侍女)
の3者が1つの画面に重層的に描かれた最初のもの。


◆アラクネの寓話(1655〜60)
・神話
・現実の風景
・タペストリーとなったティツィアーノ《エウロパの略奪》
が重層的に描かれている作品。


【ベラスケスの再評価史】


ベラスケスは存命中から世界的に評価されてきたわけではありません。
宮廷画家として活動したため、作品の4割は
王宮のもので
マドリッドの王宮にいかないと観られないものでした。
ベラスケスが広く知られるようになったのは19世紀後半以降です。


たとえば
◆ファリネッリと友人たち(1750〜52アミゴーニ)
の構図には《ラスメニーナス》の影響がみられますし


◆イソップ(1778ゴヤ)
◆カルロス4世の家族(1800〜01ゴヤ)
も然り。


そしてなによりプラドが 王立絵画彫刻美術館として開館すると(1819)
パブリックに観られるようになっていきました。
19世紀のプラドにおける「摸写許可リスト」
には日本人の名前もあります。


しかし誰よりもベラスケスを発見したのは
エドゥアール・マネでした。


3つをくらべてみましょう。
◆パブロ・デ・バリャドリード(1635ベラスケス)
◆悲劇俳優(1866マネ)ワシントンナショナルギャラリー所蔵
◆笛を吹く少年(1866マネ)オルセー美術館所蔵
ベラスケスはそうと意識していなかったでしょうが
マネは3次元的な奥行き表現の拒否をよみとりました。


◆ゾラの肖像(1868マネ)オルセー美術館所蔵
この絵の背景をみてください。奥に浮世絵と並んでいるのは
ベラスケスの《酔っぱらいたち》のエッチング、そして
マネの《オランピア》。


ホイッスラーにも同じように独特な空気感をもった作品があります。
◆灰色と緑のハーモニー S・アレクサンダーの肖像(1874)テート所蔵
◆肌色と黒のアレンジメント テオドール・デュレの肖像(1883〜84)
 メトロポリタン美術館所蔵


そのほかピカソにも《ラスメニーナス》をもとにしたシリーズがありますし
ベラスケスは様々な芸術家にインスピレーションを与え続けているのです。

*****

展覧会は10月14日まで。

講演会は今後も続々。最後は混みそうですね。
08月19日 岡田裕成(阪大教授)
09月09日 大高保二郎(早大教授)
09月30日 宮下規久朗(神大教授)

https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1806/index.html



ちなみに今回はお気に入り作品が珍しくグッズ化されていました。

ポストカードはこちら。

《聖アンナのいる聖家族》《アンドロメダを救うペルセウス》
フォト


アンドロメダの表情には本当にうっとりだし、
聖母マリアの瞳には少女マンガのような星☆が!
まあ両方ともルーベンスですけど。。。

また、一番好きだったこちらは一筆箋とマグネットになっていました。

《食用アザミ,シャコ,ブドウ,アヤメのある静物》(1628フェリペ・ラミーレス)
フォト


実際にプラドに行っても全く気づかないような作品。
こんな出会いも国外展のいいところですね。


*****

そして常設展示での
今回のお持ち帰り画像は

《シャボン玉セット(月の虹)宇宙の物体》(ジョセフ・コーネル
《消えない水滴》(舟越桂)(背景にアクアチントの《大切な言葉》《オーロラを見るスフィンクス》《荒れ地の夜》《青い森で》)

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