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2018年07月07日07:13

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ノーベル賞

 ニュースでは、オリンピックの金メダルと同様、日本人が何人授賞したかとかその受賞業績は何か、といった表面的な報道しかされませんが、一々その業績を詳しく知るのは大変なことです。そこで手っとり早く、受賞者の受賞記念講演を読んでみることにしました。これだったら「誰がなぜ授賞したのか」について「本人の言葉」で知ることができますから。

【ただいま読書中】『ノーベル賞講演 生理学・医学(8)1950-1954』川喜田愛朗・渡辺格・塚田裕三 編、講談社、1985年、4300円

 トップは1950年(私が生まれる前だ)E.C.ケンダル。タイトルは「治療薬としてのコーチゾンの発達」。
 「ステロイド」と言ったら最近は悪役扱いされることが多い印象を持っていますが、人類が初めてステロイドを単離したのは1935年。副腎皮質から分離された化合物28はすべてステロイド族でした。アジソン病(副腎皮質機能低下症)にこれらの化合物が有効であることはすぐわかりましたが、それ以外の病気には効くとは思えない状況が長く続きました。しかし1941年、アメリカ軍がステロイドの軍事利用を考え、その大量生産を求めます。構造が最も単純なデオキシコルチコステロンがまず研究のターゲットとなり、酵母、植物、胆汁などを原料に様々なアプローチがされました。スイスでラルドンとライヒシュタイン(ケンダルと同時受賞)はデオキシコール酸から初めて合成に成功しましたが大量生産には向かない方法でした。ケンドルの研究室で考案された方法をメルク製薬会社が用い、1945年についにデオキシコルチコステロンが大量生産可能となります。ところがこれはアジソン病患者には無効でした。研究者は失望のどん底に沈みます。しかし、メイヨー財団研究所とメルク製薬会社研究所ではそれぞれ「次の化合物」を狙っていました。デオキシコルチコステロンの17位に水酸基(-OH)がついた化合物(仮称「化合物E)です。48年に数グラムの化合物が作られましたが、その用途に人々は迷います。そのときヘンチ(この人もケンダルと同時受賞)とケンダルは、慢性関節リウマチにステロイドが効くのではないか、と強い推測を持っていました。実は二人がこの推測をしたのは1941年。7年待ってやっと使える量の「ステロイド」が得られたわけです。化合物Eはアジソン病に有効であることがわかり、ついで慢性関節リウマチにも有効であることがわかり、「化合物E」から「コーチゾン」に改名されます。 ここでケンダルが重視しているのは、デオキシコルチコステロン類似の化合物からコーチゾンが大量生産できる技術が確立したことです。これによって「5グラムのコーチゾン」のかわりに「400グラムのコーチゾン」を得ることができるようになり、臨床での結果が十分なだけ得られるようになったのです。さらにリウマチ熱や膠原病にもコーチゾンが効果を示すことがわかると、人々は衝撃を受けました。これまで「副腎の機能」として知られていた“以外"の効果を副腎から抽出された物質が示したからです。コーチゾンは「ホルモン」であると同時に「全く新しい発想の薬物」だったのです。
 ライヒシュタインはコーチゾンの分離と合成、ヘンチはコーチゾンの臨床応用について講演をしています。この3人の講演から伝わってくるのは「驚き」です。「人間の体内に、未知の薬物が眠っていた」ということに対する驚き。そして自分たちが物質としてのそれを発見し使い道も発見することができたという驚きと喜び。科学は「感情」でも駆動されているようです。
 51年はセーラーの「黄熱に対するワクチンの開発」、52年はワクスマンの「ストレプトマイシン──歴史、分離、性状と応用」、53年はクレブズの「クエン酸回路」とリップマン「生体内アセチル化反応の研究とその発展に関する個人的所見」、54年はエンダーズ、ロビンズ、ウェラーの「組織培養法によるポリオウイルスの培養」。
 「クエン酸回路」は、高校の生物で習ったときに感動した覚えがあります。それまで私が習った「化学反応」は基本的に一方向(あるいは可逆的)の直線的なものばかりでした。ところがクエン酸回路は、ぐるぐるぐるぐる回っているではありませんか。しかもそれが自分の体内に存在しているとは。あのときの感動は、今でも忘れません。あ、やっぱり科学って「感情」も重要な要素なんだな。


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