mixiユーザー(id:64140848)

2018年06月28日22:03

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存在と時間

今までハイデガーは入門書を読んだだけで、肌合いが合わないと思い敬遠していたが、2週間前ほどから「存在と時間」を読み始めた。2週間かかってやっと序論を終えたばかり。全然分からない。ものすごく抵抗を感じる。
存在一般の意味なんて本当にあるのか? いくら頑張っても直感できない。ただの空疎な概念でしかないように思える。

『この存在者の存在はそのつど私のものである。この存在者の存在において、この存在者はそれ自身己の存在へと態度をとっている。この存在の存在者として、この存在者、存在しなければならないというおのれの固有なあり方にゆだねられている。‥‥‥』

ハイデガーはこの辺の言い回しが非常に巧みだという気がする。現存在について冷静に内観するいとまも与えられずに、強引な言葉で思考を引きずり回されそうになる。

現存在から不純物を取り除けば、それは私を私たらしめているもののみになるはず。それを存在者と言えるだろうか? 存在者と言えるためにはそれが非存在である場合も想定できなければならないはず。しかし、現存在の非存在は想定できない。「存在しなければならない存在者」という表現は矛盾しているように私は思える。

無門慧開なら、「それは有でもなく無でもない。」と言うに違いない。
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