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2018年04月28日09:26

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愛を囁く

 昨日の甘い言葉に続いて愛を囁いてみましょう。「あいあいあいあいあいあい」。はい、6回も囁いてみました。

【ただいま読書中】『メモリアル病院の5日間 ──生か死か、ハリケーンで破壊された病院に隠された真実』シェリ・フィンク 著、 高橋則明・匝瑳玲子 訳、 KADOKAWA、2015年、2500円(税別)
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 ニューオリンズ市は、20世紀初めからハリケーン襲来のたびに洪水に見舞われてきました。メモリアル病院は市でも浸水に弱いところに建てられていました。2005年8月28日ハリケーンの強さを示すカテゴリーで最大の「5」となった「ハリケーン・カトリーナ」がメキシコ湾を広く覆います。市長はニューオリンズ市の歴史で初めて強制避難命令を出します。しかし、刑務所、ホテル(旅行者は自力避難が困難なため)そして病院は強制避難の例外とされました。救急車で患者を避難させようとする病院もありました。しかし州間高速道路は大渋滞です。一日以上かけて市外の目的地についてそのまま帰れなくなった救急車もあれば途中であきらめてUターンした救急車もありました。
 メモリアル病院は、建物は頑丈で大きく、備蓄物資もたっぷり、自家発電(火力発電)も完備していて、ハリケーンで困るのは回りが水浸しになることだけ、と想定されていました。ところが「想定外」の事態が。90年前の大洪水の教訓は忘れられ、食糧は地下室に備蓄されていました。激しい風雨で窓ガラスが次々破られ、堤防は決壊し、水はまず地下室に流れ込みます。ハリケーンは通過しましたが、決壊した堤防から流れ込む水はますます増え、病院周囲で4.5mの洪水が予測されました。非常時用の予備発電システムはあっさり失われます。ところが避難計画では「予備発電機は72時間はもつ」想定だったため、「全電源喪失」への対応は「無」でした。病院周囲では、略奪や発砲が行われています。
 メモリアル病院が属するテネット社で、そのとき危機管理を担当していた幹部は、絵に描いたような無能でした。経験も知恵も決断力もなく、だけど権威に物を言わせることだけは得意な人間です。その人は病院からの「悲鳴」を黙殺することにしました。何をしたら良いかわからなかったからです。それどころか、他の病院などからの救援支援の申し入れもすべて断ります。自分が「ノー」と言った事案に他人が口を挟むのが気に入らなかったのでしょうか。
 ヘリコプターがやっと来ますが、補修もされないまま老朽化したヘリパッドがどこまでもつかは誰にもわかりません。停電でエレベーターは使えないので、保育器に入った新生児や重症の成人患者を階段で上げるためには一人45分かかりました。苛立ったヘリは飛んでいってしまいます。市内に救援を待つ人がごまんといるのです。
 どの患者の避難を優先するかも決まっていませんでした。とりあえず重症者を優先することになりますが、DNR(臨終での蘇生措置を拒否)の患者は? さらに、患者を運ぶ病院スタッフが疲弊して階段を上り下りできなくなったら、優先できるのは自力で歩ける患者になる?
 「ヘリが来た」「ボートが来た」とデマが病院内を走り回り、疲労困憊して寝ている人をたたき起こして走らせ、さらに疲労困憊させます。
 沿岸警備隊がヘリを送ると病院に直接連絡してきますが、病院幹部はなぜかそれを断ります。それは、病院の中に同居している別組織ライフケアの患者を救助するためだからだったのかもしれません。
 メモリアル病院が洪水で孤立し、病院ではなくて避難所(それもそこから逃げ出した方が良い劣悪な環境の避難所)になってしまって3日目、やっと多くの人が病院から脱出できました。しかし、そこから取り残された人たちは排泄物のにおいと死の影がどんどん濃厚になっていく地獄に直面しなければなりませんでした。
 病院には、緊急事態のため自宅からペットを連れてきたスタッフが多くいました。しかしヘリコプターにも救助ボートにもペットの場所はありませんから、そういった動物は安楽死をさせられていました。
 4日目、残っていた病院スタッフ全員に(患者を置いて)退避するよう命令が出ます。患者はどうなる? そこで放置されたまま苦しい死を迎えさせるよりも、あるいはこれから乱入してくるだろう暴徒にひどい目に遭わされるよりも、安楽死をさせた方が、と考えた医師がいました。少なくとも現在の苦しみからは救われる、と。
 そして「病院や介護ホームでの死」の責任を巡って、「審判」が始まります。特に(安全地帯にいた人たちが)注目したのがメモリアル病院での9名の不審死でした。しかし証言する人は、デマに恐怖心を煽られ疲労困憊した脳では判断力も記憶力も低下し疲労困憊した肉体では感覚さえ怪しくなっていて、複数の証言は矛盾したものとなっています。「真実」はどこに?
 起訴された3人は、確かに倫理的に問題のある行動をした、と私は感じています。「殺人」であろうと「安楽死」であろうと、私から見たら同じようなものなので。ただ、それ以外の人は「無実」ですか? 「想定」を間違えた人・金を惜しんで病院の改修をしなかった人・ハリケーンが来る“前"に避難命令を出さなかった人・大変な状況であるのに判断も行動もサボっていた権力者……これらの人も「でっかい有罪」なんじゃないかなあ。
 メモリアル病院と同じく、浸水・停電・通信停止・救助が遅れた、という目に遭った病院が他にもいくつかありました。どこでも多くが生きて救助されましたが、それでも安楽死が生じていました。ただ、公立チャリティ病院では、低所得者層が多い地域で治安が悪く、救助はメモリアル病院より1日遅かったのに、スタッフは逃げ出さず患者の死亡は最低限に抑えられていました。何が違ったのか。そしてそこから私たちはどんな教訓を得ることができるのか?
 ただ、「人」って教訓を学びたいものなのでしょうか? もしかしたらそこから目をそらす(あるいは断罪だけしてすぐ忘れる)方がよほど楽なんじゃないかな。だから同じ失敗を繰り返し続けているんじゃないかな。


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