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2018年04月25日06:59

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 ドイツやイタリアは、もともとは小国が群雄割拠していてバラバラだったのが統一されて「国」として成立しました。そういえば日本も江戸時代には「藩」がそれぞれ半独立国家のように振る舞っていましたね。こういった「国の出自」が「国民としてのアイデンティティー」にどんな影響を与えているのかな、と思います。そういえばアメリカは「州」が集まって出来ていますがこれもそれぞれは半独立国家と言えますよねえ。
 逆に言えば、現在国連に属している「国家」って、上手くすればそのままの形で統合して地球連邦にできるかもしれません。さて、そのために必要なのは、何でしょう?

【ただいま読書中】『明治期のイタリア留学 ──文化受容と語学習得』石井元章 著、 吉川弘文館、2017年、3200円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4642083073/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4642083073&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=a3cac967f2218eb80a52769098433e7a
 明治期の留学と言ったら、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスなどをすぐに思いますが、本書は「イタリア」です。そんな人がいたんだ、が私の正直な感想です。
 まず登場するのが、トリノ王立イタリア国際学院です。1861年から5年間トリノはイタリアの首都でしたが、フィレンツェに王都が遷されたときその“代償"として1867年に国際寄宿学校が開校しました。目的は、ヨーロッパ外に移住したイタリア人家族の子弟を預かって母国で教育することでしたが、外国人留学生も積極的に受け入れました。もっとも経営が苦しかったため、イタリア国内のイタリア人も多数受け入れることになったそうですが。
 そういえばサッカーのインテル・ミラノも外国人の受け入れに積極的なことがチーム設立の原動力でした(「インテル」は「インテルナツィオナーレ(=英語だとインターナショナル)」です)。イタリアって、外国人受け入れに関して、すごく積極性を示す人たちが多いのかもしれません。
 ここにやって来たのが12歳の井尻義三郎。現地でイタリア語を習得してそれを“入り口"として他の言語もどんどん習得、学校では首席を通しています。
 緒方惟直(これなお:有名な緒方洪庵の息子)は幕府が設けた横浜の仏蘭西語伝習所でフランス語を学んでその優秀さが認められイタリアに派遣され国際学院に入学しました。イタリア語を習得後、ヴェネツィア商業高等学校の領事科に入学、生徒をすると同時にそこに設立されたばかりの日本語科の教師を務めます。イタリア政府は国際交流に本気です。惟直はヴェネツィアで出会ったマリアと結婚しますが、カトリック教徒と異教徒の婚姻は公式に認められないため、マリアは私生児を産み、惟直はカトリックに改宗、教会法上は合法的な婚姻となる、というややこしい話となっています。
 画家の川村清雄はヴェネツィア王立美術学校で学びながら商業学校で日本語教師もしていました。非常に才能豊かな人だったようで、描いた絵は賞を次々かっさらいます。本書に掲載された絵の白黒写真を見ても、構図や立体感など、明治の人がきちんと西洋絵画の技法を掴んでいることに驚きます。さらに川村の特長は「余白」です。色を塗らずに紙の「白色」を生かして水の輝きなどを表現しているのですが、これは西洋の人には不評でした。「色が塗ってない=未完成」という感覚があったそうです。もっとも、浮世絵で日本画の技法について知っている人たちは、川村の絵にそこまでの違和感は感じなかったでしょう。「ジャポニスム」の熱狂が現れたパリ万博では、ヨーロッパの画家たち(の一部)は日本美術と自分たちの動きを融合させて新しい美術を生み出そうとしていました。そこに飛び込んだ日本人は、自分たちが持つ「日本美術」に西洋美術を融合させようとしていたわけです。
 古代ギリシア風の彫刻で高い評価を受けていた長沼守敏は、日本総領事館で仕事をしていたベルシェの依頼で、夭折した緒方惟直が共同溝に葬られていたのを個人墓に移すことに協力、大理石の墓銘碑を製作します。また、日本から視察にやって来る要人たちを、通訳兼ガイドとして案内するのも留学生の重要な仕事でした。この緣で、長沼は帰国後東京美術学校の西洋画科で西洋彫刻の初代教授に着任することになります。しかし彼の石膏は壊れ、明治の元勲などの銅像のほとんどは第二次世界大戦での金属回収令によって消えてしまいました。
 ただ、イタリアという「窓口」から日本にもたらされた「語学」「芸術」は日本を確実に変化させています。そして、その「窓口」を逆に通ってヨーロッパにもたらされた「日本」もまたヨーロッパを変えていました。交流するから紛争や戦争も起きますが、文化の面からは鎖国はあまりしない方がよい、と私は考えます。


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