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2018年04月22日06:59

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読書量

 「最近の大学生は本を読まない」とか「本が売れなくなった」とか、読書に関してネガティブなニュースが時々報じられますが、では逆に「本を読んでいる人」がどのくらいの本を読んでいるのかの調査なんてものはないのでしょうか? 意外に「読書家」でもそれほどの量は読んでいないのかもしれませんよ。それと、その時代的な推移も知りたいな。昔の人が全員読書家だったとも思えませんので。

【ただいま読書中】『かくて行動経済学は生まれり』マイケル・ルイス 著、 度会圭子 訳、 文藝春秋、2017年、1800円(税別)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4163906835/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4163906835&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=3e1c0fa675b8fdc239b0abaa48f01f09
 『マネー・ボール』の著者の新作です。しかし本のカバーでは「マイケル・ルイス」がでかでかと書かれていて、その下に小さく「かくて行動経済学は生まれり」とあります。著者名がタイトルで、タイトルが副題のようにも見えます。そそっかしい人は「マイケル・ルイスという経済学者の自伝かな」などと思うのではないでしょうか(私は一瞬そう思いました)。
 『マネー・ボール』の様々な書評の中に、好意的であると同時に手厳しいものが一つありました。「野球選手の市場がなぜ非効率的かは、何年も前に二人のイスラエル人心理学者、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーが明らかにしている」というものです。著者はこの二人のことはまるで知らず、『マネー・ボール』の心理学的側面も深く考察をしていませんでした。そこで、判断ミスをする人(自称専門家)の頭の中で何が起きているのか、また、心理学者がどうしてノーベル経済学賞を受賞することになったのか、について調べ始めます。
 ダニエル・カーネマンは、少年時代をフランスで過ごしました。ただし、ナチス占領下のフランスで、ダニエルはユダヤ人だったのです。これが彼のアイデンティティー確立に大きな影響を与えたことは間違いないでしょう。なんとか生き延びてイスラエルに移住、大学で心理学を学び、軍では心理学部隊に配属されます。そこで彼が作った人材評価用の適性スクリーニングテストは、現在でもイスラエル軍で使われているそうです。
 エイモス・トヴェルスキーは「生粋のイスラエル人」で「とんでもない天才」でした。あまりの天才だったため、ミシガン大学のディック・ニスペットはエイモスと会ったあと「たった一行の知能テスト」を作りました。それは「自分よりエイモスの方が頭がいいとすぐわかる人ほど知能が高い」。アメリカに移ったエイモスは、人が決断を下すとき頭の中で何が起きているのかの研究を始めます。
 そして、(何でも研究するけれど、たまたま“その時"には)人の瞳孔を研究していたダニエルと、人の意志決定への数学的アプローチを研究していたエイモスが出会います。まったく違うタイプの天才が出会うことで、何らかの“化学反応"が生まれます。二人が共同で執筆した論文は、「統計や確率で、人は簡単に間違える。統計や確率の専門家でさえ間違える」という内容のきわめて挑発的なものでした。統計的に使い物にならない程度の「少数の例」でも、それが何かの傾向を示していたら人はその「傾向」を直感的に信じてしまうのです。
 ヒューリスティック、確率の法則の代わりに経験則を重視する態度(たとえば事前確率の無視)、後知恵バイアス、認知バイアス……さまざまなことばが登場します。人が間違えるための方法は、山ほどあるようです。今まで無事に人類が生き延びてきたのが、進化論の立場からは不思議に思えます。
 「判断」が必要なのは「不確実な状況」です。そして「判断」があるところには、人が間違える可能性が常につきまといます。ダニエルとエイモスの研究は、“それ"について雄弁に述べていました。聞いた人は皆びっくりします。そして、有効な反論が自分にはできないことに気づいてもう一度びっくりすることになります。そしてその研究と論文は、心理学の範疇を超えて、他の分野にも強い影響を与え始めます。たとえば、医学。あるいは、経済学。
 ところが二人はさらにずんずん進みます。研究のテーマを「判断(をなぜ間違えるか)」から「意思決定」にシフトさせます。人は判断をした後必ず意思決定をするわけではありませんが、意思決定には必ず何らかの判断が含まれます。そしてそれは実社会を動かしているのです(例:ドラフトでどの選手を指名するか、何を買うか、治療法は何を選択するか……)。そこでダニエルが注目したのは「感情(特に後悔)」です。論理ではなくて感情で人は動いているのではないか、と。
 1975年二人は経済学への“攻撃"を始めます。彼らの講演を聴いた(ノーベル経済学賞受賞者3人を含む)経済学者たちは、二人が正しいと感じると同時に間違っていて欲しいとも望みました。
 やがて「体制は間違っている」と強烈な批判をしていた二人は「体制」になってしまい、批判される側に回ってしまいます。もっとも「統計学をよく知っている人は二人の研究は正しいと認めるが、統計学の訓練を受けていない人が自分たちの方が分別があると主張する」状況だったようですが。さらに二人は“離婚状態"となり、悪性黒色腫でエイモスは余命6箇月の宣告を。
 しかし、二人の研究は、確実に「世界」に影響を与えていました。経済学者や弁護士や政策立案者が影響を受けるようになっていたのです。二人は経済学に進出しようとは思っていませんでしたしベテランの経済学者は頭から二人の研究を否定し続けていましたが、心理学に興味を持つ若い経済学者が二人に接近してくるようになりました。そして「行動経済学」が生まれます。
 ……しかし本書の最後の一行、これは“反則"ですよぅ。いくら本書の冒頭に「伏線」というか「明示」があったにしても。


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