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2018年04月13日07:49

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世界の視点

 「歴史」の授業では、基本的に「日本から見た世界」が描かれます。だけどそれは、日本に限定のことではないでしょう。どの国も「自分の国が世界の中心」のはず。
 ただ「グローバリズム」の世界では、「世界から見た日本」も知っておいた方が良いでしょうね。他国からの評価ばかり気にしろ、というのではなくて、他国の視点を借りることで自分を客観視できたら、未来が良くなる可能性が増えるだろう、と私は予感します。

【ただいま読書中】『「満州国」見聞記 ──リットン調査団同行記』H・シュネー 著、 金森誠也 訳、 新人物往来社、1988年、1800円
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 「満州国」に対する「リットン調査団」の名前は有名ですが、彼らの行動については実はあまり多くが語られていません。国際連盟は、満州事変が起きるとその調査のために英米仏伊独の五箇国の代表からなる調査団を派遣しました。ドイツ代表が本書の著者ハインリッヒ・シュネー(博士、国会議員)でした。国際連盟理事会議長が5人の人選を行い、日本と中国はそれを承認、団員は互選で団長にイギリスの枢密顧問官リットン卿を選出します。
 シベリア鉄道が満州で不通、とのことで、一行はアメリカ経由で極東を目指します。アメリカでの著者の不満は、禁酒政策。もっとも抜け道はいくらでもあったようですが。
 ホノルルでは「ここでは人種差別はない。学校は人種に関係なく共学」と聞かされます。のちの満州国での「五族共和」の“予告編"でしょうか。ただしホノルルでの「人種」は「白人」「ハワイ原住民」「日本人」「中国人」「新移住者(大部分はフィリピンから)」で黒人は存在していないようですが。
 日本で調査団は歓待されます。歓迎の宮中午餐会では天皇皇后と(通訳を通じてですが)直接団員は言葉を交わします。京都、大坂と歓待の日程が過ぎ、一行は神戸から上海に向かいます。
 直接満州に向かわないのは、日本の意向に従ったからです。日本は中国の混乱が満州に悪影響を与えている(だから日本は正当防衛として満州を守らなければならないのだ)、と主張し、それを“実証"するために上海から南京などの調査をすることを求めました。
 リットン調査団の調査の主眼は「日本の軍事行動は自衛のためのものと言えるか」「満州に出現した『満州国』は住民の自発的意志によるものか」の2点に絞られていました。だから中国の調査も「寄り道」とは言えません。
 調査団が見たのは「荒廃」でした。日本軍の攻撃、軍閥同士の戦闘、さらに共産党政府も存在して中国は内乱状態でした。戦闘で破壊された上海、不潔で巨大な田舎である南京、洪水に襲われた漢口……この漢口で著者らは中国共産党の脅威について聞かされます。北京で一行を出迎えた中に,張学良(日本軍に暗殺された張作霖の長男)がいました。著者は張学良の“個性"に強い印象を受けています。
 上海に上陸して一箇月後、ついに調査団は満州に入ります。
 満州国で著者は、関東軍の軍人たちの挙措から「大戦前にメッケル将軍が日本陸軍に伝えたドイツ軍の伝統」を感じ取ります。
 常に日本軍人に護衛されている(見張られている)状態で、中国人から情報を得るのは困難でした。それでも著者らは会談を続け、情報収集を完全にしようと努力します。本書には明確には書いてありませんが、満州に住むロシア人やドイツ人などからも細かい話を聞き出しているように私には思えました。
 そういえばリットン調査団に対して「満州は平和で、人びとは満州国の成立を喜んでいる」ことを示すために満州各地で建国記念運動会が催された、は3年前に読んだ『地図で読み解く東京五輪 ──1940年・1964年・2020年』(竹内正浩)に書いてありましたっけ。北朝鮮がマスゲームを誇示するのと似た心理かな。
 軍閥や匪賊が跋扈し、ふつうに移動するのも危険な状態です。さらにリットン調査団をターゲットとした暗殺の試みもあります。朝鮮人によって準備された爆弾の目的は「国連から派遣された各国の代表が殺されることで、日本の国際的な立場が苦しくなり朝鮮の独立が得られる」でした。この試みがもし成功していたら、リットン調査団の目的とか国際連盟の立場はどうなったのでしょうねえ。
 ともかく調査を終え、一行は北京に向かいます。そこで報告書を作成するために。(はじめは素晴らしい海水浴場の北戴河が候補地となりましたが、翌年そこを占領する予定の日本軍に反対され、次は青島が候補地となりましたが、「じめじめしている」とリウマチ持ちの調査団員に反対されています)
 北京で2週間過ごして、会談・情報収集・資料収集を行い、一行はまた満州・朝鮮を経て日本に向かいます。再会した荒木陸相は老け込んでいました。5・15事件のショック、と著者は感じます。
 報告書が完成して委員が全員署名し、著者はシベリア鉄道で帰国します。沿線で見たのは、つぎはぎだらけの服を着て暗い表情の人びとばかりでした。列車がヨーロッパ・ロシアに入ると、人びとの表情は少し明るくなりましたが、生活の苦しさは同じようでした。良い服装をしているのは、軍人と官吏だけでした。
 リットン調査団の報告書が作成されるのを待っていたかのように、日本は「満州国」を承認しました。中国は反発、戦闘は激化します。そして国際連盟はリットン調査団の報告に基づき、「満州国」を否定。日本は国際連盟を脱退します。
 これは国際連盟にとって大きな痛手でした。アメリカは最初から国際連盟に入っていません。ソ連も国際連盟の枠外の立場です。そして日本が抜けることで、非ヨーロッパの大国が国際連盟に存在しなくなり、国際“連盟"ではなくなってしまったのです。
 日本軍は長城を越えて南下、「満州国」のための安全回廊を確保しようとします。しかしこれが中国全土を支配しようとするのだったら、それは失敗するだろう、と著者は予想します。著者は別のところで「これからの戦争では航空機が主役になる」と予想しているし、「世界を確かに見る目」を持っている人のようです。ただ、皮肉なのは、著者の祖国(ドイツ)の未来を確かに予想できなかったことでしょう。


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