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2018年04月10日06:45

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首都占領

 戦争になって日本に敵の軍隊が進攻してきたとして、どこを占領したら日本全体がぐうの音も出ない状態になるのでしょう? やはり首都の東京? だけど「東京全体」の占領は効率が悪い。では、東京のどこが急所でしょう?

【ただいま読書中】『パリは燃えているか(下)』ラリー・コリンズ&ドミニク・ラピエール 著、 早川書房、2016年(新版)、1100円(税別)
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 いくつもの「戦いや争い」が同時進行しています。ドイツ軍と連合国軍の戦い・ドイツ軍とレジスタンス(や一般人)との戦い・ドイツ軍内での争い・連合国軍内での争い・ドゴールとアメリカ政府の争い・レジスタンス内での権力闘争(殺し合い)・パリ市民の飢餓との戦い……そして新聞記者の間でも「パリ一番乗り」をめぐる争いがありました。その中にはアーネスト・ヘミングウェイの姿もあります。
 いくつものものに板挟みされていた大パリ司令官コルティッツは、あろうことか連合国軍にパリに進攻することを望むようになります。これは明らかに反逆行為ですが、もちろんそれにはいくつもの「事情」がありますし、その中にはドイツ軍自身に責任があるものも混じっていました。そのメッセンジャーとなったのは、上巻から活躍しているスウェーデン総領事ノルドリンク。しかし「使節団」がパリを出発する直前に彼は心臓発作を起こしてしまいます。パリの運命はどうなるのか。
 しかし、ついに命令は変更されます。連合国軍の戦車隊は進路を変更します。パリへ!
 4日半の激戦で、パリで戦っていたフランス国内軍の士気は低下し始めていました。連合国の戦車隊や歩兵師団は急ぎます。パリへ!
 「パリを守れ」と近くのドイツ軍にも援軍の指令が出ます。パリへ!
 私が興味深かったのは、フランスの電話網が生きていたことです。レジスタンスが立てこもった警察署にドイツ軍から電話がかかってきます。進軍するアメリカ軍の将校が試しに途中のカフェでパリに電話をしてみると、ちゃんと知人の所に電話が通じます。
 パットン将軍は激怒します。パリへの“寄り道"のため、ガソリンは当初の計画より余分に500万リットル消費されますが、それによってライン河到達は1箇月遅れてしまいます。しかしその間にドイツ軍は再配置と増強によって守備を固めるでしょう。実際にそうなり、パットン将軍がライン河に到達できたのは、「パリを回避した場合」の予定よりも7箇月遅れた45年3月になってからでした。
 ドイツ軍は情報を得て、パリの守備を固めます。パリで一斉蜂起した人びとは情報を得られず、そろそろ力尽きそうになっています。ヒトラーは激怒し、命令を書き留めるペンが追いつけないくらいの激怒の奔流を垂れ流します。ドイツ軍にもパリのフランス人にも、「パリはワルシャワのように廃墟になるだろう。そうなったとき、『歴史』に裁かれるのは自分だろうか」と自問自答する人が何人も現れます。
 パリ近郊で連合国軍はフランス人の大歓迎を受け「パレード」気分でした。しかしすぐにドイツ軍の反撃(それも強力なもの)が始まり、シャーマン戦車は次々破壊されていきます。ドイツ軍は88ミリ高射砲を、どうせ連合国軍はパリを爆撃しないからパリ市内には不要なので防衛線に配備して水平撃ちすることで対戦車砲としていたのです。普通はそういった砲座は、歩兵で包囲して殲滅します。しかし先を急ぐ連合国軍は、戦車による正面突破をします。大切なのはスピードなのです。そのかわり、犠牲はどんどん増えました。しかし、その戦闘の「音」が、パリ市民に「メッセージ」として届きます。弾薬が尽きた警視庁から、パリから40kmの町の憲兵詰め所に電話した人は、受話器に戦車が通過する音を聞きます。彼は相手に叫びます。「大急ぎでやって来てくれ。このままでは我々は全滅だ」。その声が届いた頃、戦車兵たちは、光に満ちたパリの空にそびえ立つエッフェル塔が地平線上に現れたのを見ます。
 パリ近郊に配置されたドイツ軍も援軍としてパリを目指します。もしその軍団が連合国軍よりも早くパリに入れば、コルティッツは“本気"でパリ防衛をしなければなりません。しかし、連合国軍の方が早ければコルティッツは“象徴的な防衛"をするだけで済ませることが可能になります。パリの“生死"をかけた競争が行われていました。
 パリ占領の最後の夜は、最初の夜と同様、遠雷のような大砲のとどろきとともに過ぎていきました。そして突然、占領中沈黙を守っていたノートル=ダム寺院の鐘が、高らかに鳴り始めます。パリ市中に入った連合国軍はまた「大歓迎のパレード」を行います。フランス軍(と少数のアメリカ人)は感動的な再会を経験します。新たな出会い(後の結婚につながる出会い)をした兵士とパリッ娘も多くいました。しかし、2万のドイツ軍も黙っているわけがありませんでした。パリの一斉蜂起では、建物に籠もるレジスタンスたちをドイツ軍が包囲して攻撃していました。こんどはその逆バージョンです。しかも立てこもった方は正規軍ですから、装備も訓練もしっかりしています。さらに「攻める側」は「できるだけパリの破壊は避けたい」と思っています。だって「解放」に来たのであって「破壊」しに来たのではないのですから。
 ヒトラーは激怒します。パリを失えば、次の戦場はすぐに「ドイツ」になりそうですから。ヒトラーは命令します。「パリは廃墟にならなければならない」。ヒトラーは確認します。「パリは燃えているか?」
 コルティッツは投降し、パリのドイツ軍全軍に戦闘停止と投降を命令します。その命令を守る者もいれば守らない者もいましたし、そもそも命令が届かないところもありました。だから、パリは「解放された喜びによるお祭りの場所」と「激しい戦闘が続いているところ」のモザイク模様となります。その中を暗い気持ちで行進しているのは、捕虜となったドイツ軍兵士たち、そして“売国奴"のフランス人たちでした。対独協力者は何千人となく捉えられ、即刻処刑されましたが、その中には誤認逮捕も多く含まれていた模様です。
 シャルル・ドゴールはついにパリに帰ってきました。しかし彼の「戦い」の本番は、ここから始まるのです。ナチスドイツとの戦いもまだ終わってはいないのです。


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