「人は必ず死ぬ」、「明日の朝もまた日は昇る」、「目の前のリンゴは実在する」、誰もが当然視するこの世界を、哲学者だけが素直に受け入れられないでいるように見える。カントが「スキャンダル」と呼んだこの事態に一石を投じたのがムーアの「外的世界の証明」ではなかったか。
≪ ムーアが片手を差し出して言った。「ここに一つの手がある。」そして、もう一方の手を差し出して、「ここにもう一つの手がある。」と言った。そして、「少なくとも二つのものが私の外界にあることが証明された。」と言った。 ≫
注目すべき点は、ムーアの使う言葉「ある」とか「外部」とかは、まさにムーアが使っているような意味の言葉ではなかったか、ということである。そしてまた、それはカントのいう「経験的実在論」と同じ視点にあるのではないかと考える。
来年は、哲学的懐疑論に本格的にチャレンジしたい。
ログインしてコメントを確認・投稿する